研究レポート

米比同盟を立て直せるか
インド太平洋における「統合抑止」のもう一つの核心

2022-03-14
神保謙(慶應義塾大学教授)
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「日米同盟」研究会 FY2021-2号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

米国のアジアにおける同盟は、二国間の「ハブ・スポークス」関係の束によって成り立っている。米国の同盟形成の歴史的経緯、地政学的条件、政治・経済的条件、同盟国間の脅威認識の多様性が、アジアにおける二国間システムの背景にあることは周知のとおりである。

この扇の要(米国)からアジアの同盟国に「線」で繋がれた関係を、同盟国間の関係を強化することによって「面」として発展させることは、過去20年間以上にわたる重要な課題だった。冷戦後のアジア太平洋の安全保障環境において、同盟国間の役割を連携させ、幅広い安全保障課題に適合させるとともに、海外に展開する米軍の拠点や機能の合理化が志向された。

2001年にデニス・ブレア元米国家情報長官は、米太平洋軍司令官当時(2001年)の論文「車輪からウェブへ(From Wheel to Webs)」(Blair and Hanley Jr., 2001)で、二国間の取り決めのシステムを、より開かれた安全保障関係の網(ウェブ)へと転換させることを促していたi。ジョージ・W・ブッシュ政権下で進められたグローバルな米軍態勢見直しでも、海外における米軍基地を主要作戦基地(MOB)/前方作戦拠点(FOS)/協力的安全保障地点(CSL)といった区分けによって、駐留・ローテーション配備・集積機能などを連携させ、柔軟な即応展開能力を促進した背景がある。

こうした流れはオバマ政権のアジア太平洋「リバランス政策」にも引き継がれた。米軍の海外展開戦力の構成の太平洋シフトを促進し、オーストラリアの北部ダーウィンへの海兵隊をローテーション配備し、シンガポールに対潜水艦戦能力などを備える沿岸海域戦闘艦(LCS)を配備した。またタイとの合同軍事演習「コブラゴールド」の充実化、フィリピン軍の能力構築支援と米軍のコミットメントの強化、ベトナムとの安全保障協力の強化など、東南アジア・オセアニア全域にわたる米国のプレゼンス強化を図った。

米国と東南アジア諸国との安全保障関係の制度的発展も図られた。2014年5月に米国とフィリピンは「防衛協力強化協定」(EDCA)を締結し、米比共同軍事作戦の強化とフィリピン国軍の能力向上を謳ったii。この中で米国は、フィリピンへの米軍のローテーション配備を強化し、フィリピン国内の施設建設を可能にすることや、両国が人道支援・災害救援を中心とする活動を強化し、二国間の訓練の機会をさらに拡大することが目指された。さらに2015年12月には「米・シンガポール拡大防衛協力」によって、軍事分野・技術分野・非伝統的安全保障分野での二国間協力を推進することが謳われた。

ドゥテルテ政権期の米比同盟の漂流

以上のように米国と東南アジアとの安全保障関係は、米国のアジア太平洋(後のインド太平洋)の戦略的縦深性を担保する重要な意味を持っていた。とりわけ西太平洋の拠点として南シナ海・バシー海峡に面する同盟国フィリピンとの米比同盟強化は、ネットワーク型の安全保障体制を構築する要ともいえた。米比両国は「訪問米軍に関する地位協定」(VFA)に基づいてフィリピンにおける対テロ合同訓練や、米比合同演習「バリカタン」を推進した。前述のとおり2014年5月の「米比防衛協力強化協定」(EDCA)は、米比の安全保障協力を制度面から強化した。

しかし、2016年6月に新大統領に就任したロドリゴ・ドゥテルテは、米比関係を安定的に推移させた前任のアキノ大統領と位相の異なる対米観(反米的な民族主義史観)を有していた。ダバオ市長時代から名声を馳せたドゥテルテ政権の徹底的な麻薬取締政策は苛烈を極め、多数の死者を伴ったことから麻薬戦争とも呼ばれた。オバマ米政権がこの問題を人権問題として批判すると報道されると、ドゥテルテは猛反発して旧宗主国による内政干渉と侮辱と憤り、オバマ大統領自身にも個人的な罵声を浴びせた。

大統領就任初期からドゥテルテは米軍特殊部隊の撤退や、米比合同軍事演習の廃止などを示唆するようになる。また同時に、ドゥテルテは中国やロシアとの政治・経済的関係改善の姿勢を強めていった。2016年7月にアキノ前政権が苦心して獲得した、南シナ海における中国の領有権の主張を否定したハーグ仲裁裁判所の裁定について、ドゥテルテは「ポケットの中にしまう」と事実上棚上げした。ドゥテルテの発言にはその都度紆余曲折がみられたものの、米比同盟の停滞と中国への外交的接近は、フィリピンの対米・対中関係の構造変化として捉えられたiii

他方でフィリピンの外交・国防当局およびフィリピン国軍の幹部の多くは、米国との関係を重視し、ドゥテルテの反米姿勢の修正に務努めた。ロレンサナ国防長官は、首脳同志の不信感が漂う対米関係の修復に努め、米軍合同軍事演習の継続(規模縮小)を取り付けることができた。しかしながら、EDCAに基づく米軍のフィリピン国内基地使用や、軍事施設の建設は進捗せず、米比同盟には漂流傾向が強まった。

ただ停滞期の米比同盟にも一定の進展がみられた。2017年にミンダナオ島で発生したマラウィ占拠事件では、米軍のフィリピン軍に対する武器供与や米海兵隊の支援など、米国は重要な役割を果たした。また、2018年から「バリカタン」演習の規模や演習内容が充実化され、他の海上訓練等も踏まえ、米比両軍の協力は徐々に復活の兆しがみえた。さらに2019年にマニラを訪問したポンペオ米国務長官は、米比相互防衛条約の適用範囲について、それまで米政府が明確化してこなかった南シナ海でのフィリピン防衛についても言及したiv

訪問軍地位協定(VFA)の破棄の危機から回復まで

しかし米比同盟の改善の流れに突如として激震が走った。2020年2月にドゥテルテが訪問軍協定(VFA)の破棄を一方的に通告したのである。ドゥテルテがVFA破棄の理由として挙げたのは、米国上院でのフィリピンに対する人権侵害の非難決議の採択、同上院によるがフィリピンで拘束されているデ・リマ比野党上院議員(ドゥテルテ政権の麻薬政策を批判)の解放の要求、そして麻薬撲滅作戦を指揮する立場にあったロナルド・デラ・ロサ前警察長官に「グローバル・マグニツキー人権法」が適用され米国査証が取り消されたことである。

米政府と議会の対応を「フィリピンの主権に対する攻撃」と憤慨したドゥテルテはVFA破棄を指示し、これが米国に通告された。ドゥテルテの指示には相互防衛条約やEDCAの廃棄までは含まれないものの、VFAは米軍との軍事的協力の法的基盤であり、その失効は米比同盟の活動基盤が形骸化することを意味していた。VFAなくしては米比合同軍事演習やフィリピンの施設・区域の使用及び補給などが事実上不可能になるからである。

VFAの破棄には180日の猶予期間があり、失効までの期間に事態を収拾する余地を残していた。折しも2020年初頭の新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い、同年5月に予定されていた「バリカタン」合同演習の中止が決定された。ドゥテルテ政権のVFA廃棄問題は、その後対米交渉の材料として用いられるようになった。実際のところ、2020年6月にフィリピン政府はVFA破棄を6ヶ月間保留することを決定し、同年12月および2021年6月にVFA破棄保留措置をさらに各6ヶ月間延長した。この間に、ドゥテルテ政権は米政府に対して兵器の供与と、新型コロナウイルスのワクチンの提供を迫ったv

ようやくVFA破棄をめぐる米比同盟の危機が収拾されたのは、2021年7月のオースティン米国防長官のフィリピン訪問によって、VFA存続で合意が成立したことだった。このVFA存続の背景としてには、米国が同年8月までに600万回分のワクチンをの供与することが重要だった、とドゥテルテ自身が認めているvi。同年9月にワシントンDCで開催された米比国防相会談では、米比共同ビジョン宣言の策定、二国間海洋協力枠組みの策定、EDCAのインフラ向上事業の再開など、新しいイニシアティブを促進することで一致しているvii

フィリピン大統領選挙後の米比同盟

ドゥテルテ政権の発足後から6年間にわたり翻弄された米比同盟は、ドゥテルテの大統領任期の最後の段階で、ようやく軌道が回復したことになる。米比同盟の今後の展開については、2022年5月に予定されるフィリピン大統領選挙の帰趨が重要となる。本稿執筆時点(2022年3月6日)では、4人の有力候補のうち故マルコス元大統領の長男、フェルディナンド・マルコス元上院議員の優勢が伝えられている。一方ドゥテルテ大統領の長女、サラ・ドゥテルテは副大統領選に立候補することが決まり、マルコス・ドゥテルテの連携により選挙戦を優位に展開させようとしている。

フィリピン大統領選は、米比同盟が本格的な発展を遂げる重要な転機となりうる。新大統領が米比同盟を重視し、EDCAに基づく計画を促進すれば、アントニオ・バウチスタ空軍基地、バサ空軍基地、フォート・マグサイサイ地区、ルンビア空軍基地及びマクタン・ベニト・エブエン空軍基地の5か所の防衛協力を進める拠点として、米軍のローテーション配備等の前方展開戦略が強化する基盤となる。

オースティン国防長官は、2021年7月に東南アジア歴訪の際に訪問したシンガポールでの演説で、統合抑止(Integrated Deterrence)を推進するための東南アジア諸国との安全保障協力の重要性を強調したviii。統合抑止の推進のために同盟国・パートナー国との協調を「地域の安全保障状況に合わせて調整」しされ、「ネットワーク化された新たな方法で展開」するとしている。同年11月に米国防省が提出したグローバルな米軍態勢の見直し(GPR)は、非公開文書としてその全容は判明していないが、インド太平洋地域を優先地域として米軍態勢と軍事協力のための地域のアクセス拠点の強化が謳われているix

米国防省・統参本部や戦略コミュニティの議論を参照すると、中国の軍事能力の拡張に伴う厳しい戦略環境において、米国の抑止態勢を強化する必要性は常に強調される。特にインド太平洋地域における強靭で分散化された態勢(resilient and distributed posture)を強化しつつ、統合作戦概念(Joint Warfighting Concept)を同盟国との協力を通じて発展させていく方向性が示されている。

インド太平洋の戦略環境は海と空の支配が決定的な重要性を帯びるが、ダイナミックな戦力投射、戦域アクセスの確保、競争的環境における優位の維持のために、陸上拠点の果たす役割は一層重要となる。また中国との軍事エスカレーション管理には、地上配備型中距離ミサイルの配備の重要性が増しており、これら軍事アセットの配備拠点も多くの選択肢を検討する必要がある。

以上の観点からも、米国のインド太平洋戦略における米比同盟の役割は決定的に重要となる。米比同盟の強化が軌道にのれば、日本、オーストラリア、インド、韓国など米国の同盟・パートナー国との連携も進展し、ネットワーク化された安全保障協力が促進されることが予想される。その意味でフィリピン大統領選の帰趨は重要であり、大統領選後の米比同盟発展の規模とスピードに注目する必要がある。




i Dennis C. Blair and John T. Hanley, "From Wheels to Webs: Reconstructing Asia-Pacific Security Arrangements" The Washington Quarterly, Vol.24, No.1 (Winter 2001)

ii The Official Gazette, The Government of Philippines, "Document: Enhanced Defense Cooperation Agreement between the Philippines and the United States" http://www.gov.ph/downloads/2014/04apr/20140428-EDCA.pdf

iii Renato Cruz De Castro, "Caught Between Appeasement and Limited Hard Balancing: The Philippines' Changing Relations With the Eagle and the Dragon" Journal of Current Southeast Asian Affairs (February, 2022)

iv Malcolm Cook, "The Philippines Alliance Problem with the USA", Perspective, ISEAS Institute (June 13, 2019)。この会談でポンペオ米国務長官は、南シナ海は太平洋(Pacific)の一部であり、南シナ海におけるフィリピン軍、航空機、船舶への攻撃があれば、相互防衛条約に基づく相互防衛義務が発動されることを明確にした。

v "Malacañang complains about lack of US military aid after Duterte VFA ultimatum", Rappler (February 15, 2021)

vi "Duterte says US vaccine donations led him to keep VFA," Rappler (August 3, 2021)

vii U.S. Department of Defense, "Readout of Secretary of Defense Lloyd J. Austin III's Meeting With Philippine Secretary of National Defense Delfin Lorenzana" (September 10, 2021).

viii U.S. Department of Defense, "Secretary of Defense Lloyd J. Austin III Participates in Fullerton Lecture Series in Singapore" (July 27, 2021)

ix U.S. Department of Defense, "DoD Concludes 2021 Global Posture Review," (November 29, 2021); U.S. Department of Defense, "Pentagon Press Secretary John F. Kirby and Dr. Mara Karlin, Performing the Duties of Deputy Under Secretary of Defense for Policy, Hold a Press Briefing" (November 29, 2021)