研究レポート

分極化時代の下院議長--------(1)歴史から考える

2023-10-17
待鳥聡史(京都大学教授)
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「米国関連」研究会 FY2023-1号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

奇妙な出来事

アメリカ連邦議会では先ごろ、ケヴィン・マッカーシー議員(共和党)が下院議長を解任された。事の起こりは、2023年10月1日に始まる2024会計年度において、日本でいう本予算を構成する諸法の一部が未成立だったことである。それ自体は珍しくないが、連邦政府機関の一部閉鎖を回避するために必要となる継続決議(暫定予算に相当)の成立のため、民主党と協力して多数派を形成したことが、党内の一部議員から激しく批判された。現在、議長の解任動議は1名の議員により提出が可能であり、継続決議の成立に反発したマット・ゲーツ議員が提出した動議に、民主党議員の大部分と8名の共和党議員が賛成したために、議長は解任されたのである。

少し考えてみれば奇妙な出来事である。近年のアメリカ政治を何よりも特徴づけるのは分極化、すなわち共和党と民主党がそれぞれイデオロギー的に純化するとともに、相互に激しく対立して、妥協に基づく政策決定が著しく困難になっていることだとされる。だとすれば、自党所属の下院議長を解任しようとすることも、その直接の原因は議長が相手党との協力によって継続決議を成立させるための多数派を形成したところにあることも、分極化時代には「ふさわしくない」ように思われる。さらに言えば、マッカーシーが下院議長に選任された2023年1月の指名投票でも、多数党である共和党の内部対立によって15回にわたり投票が繰り返される事態となっていた。これもまた分極化時代らしからぬことであろう。

なぜ、このようなことが起こったのだろうか。既に多くの解説などが行われているように、共和党内では保守派でありながらその立場を徹底させないマッカーシーに対して、ゲーツらの強硬派の批判は常に強く、それが今回の継続決議に至る過程で決定的になったこと、もう少し遡れば、1月の議長指名の際に保守強硬派からの支持を得るために解任動議の提出要件を引き下げたことが作用したことは間違いない。しかし、このような説明だけではマッカーシーがなぜ最小限とはいえ民主党との協力に踏みきったのか、危ないと分かりきっている橋を渡ったのかについては、十分な答えが得られない。政党間対立がいっそう先鋭的になっているなら、徹底して放置してしまうのが最も賢明だともいえるのである。

したがって、なぜ解任に至ったのか、なぜ指名投票は延々と繰り返されたのかを理解するには、より大きな構図の中に今回の出来事を位置づけ、相対化して意味を把握する作業が必要になるだろう。本稿に始まる検討は、そのような作業の一環となることを目指すものであり、歴史と制度構造という2つの視点から、分極化時代の下院議長のあり方を考え、外交への影響を把握しようと試みる。まずは歴史から見ていくことにしよう。

時期区分の試み

下院議長職が置かれたのは、合衆国憲法に基づく連邦議会の創設と同じ1789年であった。合衆国憲法は第1条で連邦議会について定めるが、その第2節5項において「下院は、その議長及び他の役員を選任する。弾劾訴追の権限は下院に専属する。」とされている。

合衆国憲法には下院議長になれる資格についての定めがなく、上院議長は非議員の副大統領であること、またこれまでも非議員に対する投票が無効とはされていなかったことから、共和党内ではマッカーシー解任後の指名投票を乗り切るためにドナルド・トランプ前大統領を議長に就けようという動きが一時生じた。しかし、これまで非議員が議長に就いた例はなく、指名投票でも議事運営でも相当の混乱が予想され、仮に選任されたとしても成功するようには思われない。また、合衆国憲法第1条第2節は、下院が有権者によって直接公選された議員のみによって構成されることを前提にしており、それは下院の決定的な存在意義でもあるため、非議員の議長を選出することには憲法上の疑義は大きい。

さて、初代の下院議長はフレデリック・ミューレンバーグであった。1788年に行われた初の連邦議会選挙では、有力な建国者であり合衆国憲法の制定にも大きく貢献したジェイムズ・マディソンも当選しているが、マディソンは議長には就かなかった。もちろん、ミューレンバーグ自身も有力な政治家であり、独立戦争期の1780年には大陸会議で、合衆国憲法批准の可否を検討した1787年のペンシルヴェニア州憲法会議で、それぞれ議長を務めている。彼が下院議長を務めるようになったのは、これらの経験に加えて、合衆国憲法に定められた連邦政府の4要職(大統領・副大統領・下院議長・連邦最高裁首席判事)を主要州出身者に割り振ったためだと、政治学者のロナルド・ピータースJr.は指摘する。大統領のジョージ・ワシントンがヴァージニア、副大統領のジョン・アダムズがマサチューセッツ、連邦最高裁首席判事のジョン・ジェイはニューヨーク出身であった。

ミューレンバーグは、憲法体制も政党政治も安定していなかった時期に、公平な議会運営に当たることに意を用いたという。しかし彼以降、下院議長というポストの位置づけには、何度かの変転があった。先に言及したピーターズJr.は別の研究において、20世紀末までの下院議長職の歴史には、南北戦争期までの議事主宰者であることが重視された時代、20世紀初頭までの党派的であることが重視された時代、1960年代までの委員会などの自律性を尊重して積極的にはリーダーシップをふるわなかった時代、その後の多数党内多数派の意向を反映するようになった時代、という4つの区分が可能であるとしている*。彼は共和党が40年ぶりに下院多数党となり、ニュート・ギングリッチ議長の時期に公刊された同じ研究の第2版において、民主党よりも集権的な共和党による新しい時代の始まりを示唆した。当時、このような見解は決して珍しくなかった。

しかし、結局のところはギングリッチ以後にも決定的な変化には至らず、多数党内多数派の意向を反映する時代は続いているように思われる。今日の下院議長は、激化する党派的対立を緩和するのではなく、むしろ党内多数派に背中を押されつつ、それを先導するような存在となっている。議長を頂点とする下院指導部とは、すなわち下院多数党指導部であり、議題設定権力(アジェンダ・パワー)を駆使して下院多数党内多数派の意向を法案に反映させ、自党から大統領が出ていればその意向に応じた政策の実現を図る。逆に、大統領が相手党から出ている場合には、徹底的に対決する姿勢をとるのが常態となっている。ギングリッチ議長がビル・クリントン大統領の、ナンシー・ペローシ議長がトランプ大統領の弾劾訴追を担ったのは偶然ではない。そして、解任されたマッカーシー議長もまた、ジョー・バイデン大統領の弾劾訴追のための調査を開始したばかりであった**。

* 当然ながら他の時期区分も存在する。とくに近年では、南北戦争期より前の時代に既に下院議長は党派的指導者になりつつあったことを指摘する研究もある。

** 連邦議会に関する現在の標準的な文献では、議会内過程は政党間対立に焦点を合わせて叙述されるのが一般的で、議長ごとの個性に言及するのは稀である。ただし、マシュー・グリーンとダグラス・ハリスの最近の研究では、議長を含む議会指導部を政党指導部で代替して分析するものの、その地位に登りつめる上では、人物の個性、同僚議員向けの選挙運動、そして文脈的要因が作用すると指摘している。

新しい動きなのか?

いずれにしても、議長ポストの位置づけにいくつかの時代区分が可能であるのは、それぞれの時代が終わり、次の時代が始まるタイミングで、大きな出来事があったためである。

その代表的な例が、1910年に起こったジョセフ・キャノン議長(共和党)への反乱事件である。南北戦争後には、今日まで続く共和党と民主党の二大政党制が確立された。それに伴い、下院議長の役割も従来の議事主宰者から党派的指導者へと変容したが、キャノンはその決定版のような存在であった。彼は議長就任前の1890年に、当時のトマス・リード議長が進めた厳密な定足数確認を柱とする議会内手続き改革を支持し、少数党の議事妨害を困難にすることで多数党主導の下院運営を是とする姿勢を示していた。1903年に議長に就くと、議案ごとに与えられる議案進行規則を準備する議事運営委員会の権限や、議長による常任委員会の委員長指名権限を最大限活用し、少数党に対する多数党の優位だけではなく、多数党内部での議長優位を推し進めたのである。

当初、共和党内ではおおむね好意的に迎えられていたキャノンの議会運営は、セオドア・ローズヴェルト、ウィリアム・タフト両共和党政権が推進していた社会経済改革、すなわち革新主義の諸立法に彼が敵対的な姿勢を示し続けたことで、下院共和党内の不満を招くことになった。1908年選挙後に政権側が試みた議長交代は失敗に終わったが、議会運営への批判はさらに高まることになり、最終的には1910年3月に、ある議案に対するキャノンの方針に共和党議員の多くが反対し、その直後に議事運営委員会の構成や選任方法を全面的に改める議院規則変更が急きょ採択されて、彼は事実上失脚するに至った。1910年中間選挙で民主党が下院多数党になったこともあり、キャノンは議長を退任し、その後は落選も経験するなど、影響力を回復することはなかった。彼の失脚は、党派的指導者としての下院議長の時代の終焉を意味しており、その後はおおむね1960年代まで、議長は積極的なリーダーシップを行使せず、委員会中心の議会運営を進める時代が続くことになった。

キャノンの事例は、下院議長への抵抗や反乱は決して前例がないものではないことを示している。その後も、たとえば1997年にはギングリッチ議長に対して似たような動きがあった。彼もまた従来の議長よりも集権的な議会運営を志向し、当初は成功していたが、連邦政府機関の一時閉鎖問題をめぐるクリントン政権との対決に事実上敗れて、その後共和党内からの支持を失ったのであった。在任中の解任は今回のマッカーシーが初めてだとしても、とりわけ指導的立場にある議員とそうでない議員の考えが異なるとき、下院議長の地位はそれほど安定的だというわけではないのである。そして、議長に対する挑戦は当然ながら下院多数派である自党からの造反が生じることで現実味を帯びる以上、議長としてはそのような造反が生じないように意識を払う必要が常に存在する。この点は、分極化の下で自党内がイデオロギー的純度を高めるほど重要になる。

多数党内多数派の意向を反映する時代が継続しているところに、分極化の効果が重なり合うことで、下院議長への党内からの造反は今後も起こりうる、より正確にはいっそう起こりやすくなるというべきであろう。それを避けるには、自党内の多数派の意向に忠実に行動するしかなく、政権側や相手党との協調の可能性は極めて小さくなるといわねばならない。今後の議長が、マッカーシーの解任からそれ以外の教訓を引き出すことは難しいことは明らかだが、そもそもマッカーシーが解任されるような行動に踏みきった理由までは、歴史的な検討からだけでは依然として明らかではない。この点は稿を改めて論じることにしたい。

外交への影響についても見ておこう。バイデン政権は、トランプ政権期に弱まった国際的課題への関与をある程度まで回復させ、今日のロシア・ウクライナ戦争の動向などにも明らかに影響を与えている。しかし、トランプの影響下にアメリカ第一主義を掲げる議会共和党の多数派がそれを容認しているとは到底言い難く、今回の議長解任につながった継続決議をめぐる主要争点ともなっていた。連邦議会が外交に関与する最大の手段は予算編成だが、そこには分極化の濃い影が伸びている。2024年選挙が近づいていることもあり、次の下院議長に誰が就くにせよ、国際主義へのコミットメント継続を楽観視することはできない。

注:制度から分極化時代の下院議長のあり方を考察する続編が掲載される予定です。




参考文献

石垣友明(2023)『アメリカ連邦議会--------機能・課題・展望』有斐閣。

岡山 裕(2020)『アメリカの政党政治--------建国から250年の軌跡』中公新書。

岡山 裕・前嶋和弘(2023)『アメリカ政治』有斐閣。

松井茂記(2023)『アメリカ憲法入門[第9版]』有斐閣。

Green, Matthew N., and Douglas B. Harris (2019), Choosing the Leader: Leadership Elections in the U.S. House of Representatives (New Haven: Yale University Press).

Jenkins, Jeffery A., and Charles Stewart III (2013), Fighting for the Speakership: The House and the Rise of Party Government (Princeton: Princeton University Press).

Oleszek, Walter J., ed. (2004), The Cannon Centenary Conference: The Changing Nature of the Speakership (Washington, D.C.: United States Government Printing Office).

Peart, Daniel (2021), "Rethinking the Role of the Speaker: Power, Institutional Development, and the Myth of "Impartial Moderator" in the Early US House of Representatives," Journal of Policy History 33(1): 1-31.

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Venegas, Natalie (2023), "Democrat Tries to Block Donald Trump From Becoming Speaker," Newsweek (online), October 9. <https://www.newsweek.com/brendan-boyle-introduces-bill-blocking-trump-being-speaker-1833235>