国問研戦略コメント

国問研戦略コメント(2020-1) 
二国家解決案の終焉―トランプ和平案が生み出す現実

2020-03-02
立山良司(防衛大学校名誉教授/日本国際問題研究所グローバルリスク研究会主査)
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94%のパレスチナ人が反対

 米国のトランプ大統領は1月末に、自らが「世紀のディール」と称賛する中東和平案を公表した。「平和のためのビジョン」と呼ばれる和平案は序文で、パレスチナ問題をめぐる「今日の現実」を踏まえたものであり「現実的な二国家解決案を作り出す」と主張している。しかしその内容は、米国を含む国際社会がこれまで追求してきた二国家解決案とは大きく異なっている。
 イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)は1993年9月にオスロ和平合意に調印した。その根底にあった理念は、1967年の第3次中東戦争以来のイスラエルの占領地であるヨルダン川西岸(以下、「西岸」と記す)とガザ地区に、東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家を樹立し、イスラエルと共存するという二国家解決案だった。しかしこの27年間に、西岸、ガザの状況は大きく変わり、二国家解決案はほとんど「死に体」になっていた。その意味でトランプ和平案は、二国家解決案に最後のとどめを刺したといってよい。
 トランプ和平案の最大の特徴は、イスラエルの安全を最優先にするとともに、拡大した入植地などの状況をそのまま受け入れていることだ。その結果、和平案が描く「パレスチナ国家」は、パレスチナ側が求めてきた国家像とも、通常イメージされる主権国家像とも大きくかけ離れている。例えば次のような点だ。

  • 西岸の約30%(ヨルダン渓谷、死海沿岸、全入植地)をイスラエルが併合。
  • 「パレスチナ国」内部には主権が及ばないユダヤ人入植地がそのまま残る。
  • イスラエルは安全保障上の責任を継続し、航空管制や国境監視などの権限を保持する。このためパレスチナ側の主権は制限される。
  • パレスチナ側の「首都エルサレム」は市の周辺地域に限られ、旧市街地を含むエルサレムの最も重要な市域はイスラエルが支配を継続する。
  • パレスチナ難民は「パレスチナ国家」へ移住できるが、その人数などはイスラエルの同意による。
 このようにトランプ和平案はパレスチナ側に、独立国としては立ち行かないような小さく分断された領土と大幅に制限された主権を押し付けようとしている。発表直後に行われた西岸、ガザのパレスチナ人を対象とした世論調査では、94%とほとんどすべての回答者が和平案の受け入れを拒否している(https://www.pcpsr.org/en/node/797)。当然の反発だろう。パレスチナ側がトランプ案に基づいた和平交渉に応じる可能性はまったくない。
 

米・イスラエル共同で併合を実施

 和平交渉の再開とは無関係に、トランプ提案はイスラエルによる一方的な占領地併合にゴーサインを与えてしまった。現にベンヤミン・ネタニヤフ首相は和平案発表直後に、ヨルダン渓谷などの併合手続きをすぐにでも始めると表明した。併合手続きの開始は延期されたが、同首相の政治的ライバルである中道政党「青と白」のベニー・ガンツ党首も、選挙後の新政権で併合措置を開始すると述べている。イスラエルによる併合は間もなく既成事実となるだろう。
しかも驚くべきことに、イスラエルによる併合の詳細は、デイビッド・フリードマン駐イスラエル米国大使が主導する米・イスラエル合同委員会で決定される予定だ(https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-u-s-ambassador-to-israel-friedman-to-lead-joint-committee-on-settlement-annexation-1.8535064)。フリードマン大使はよく知られているように、入植活動を支援していた人物である。占領地併合という国際法に違反する行為が、米国とイスラエルの共同作業で堂々と実行されることになる。
 イスラエルによる併合のあり方は、水資源問題とも密接に関係している。西岸中央の山間部に降った雨は地下の帯水層に蓄えられ、標高の低い地中海沿岸部、つまりテルアビブなどイスラエルの人口集中地域に地下水となって流れて行く。このため中東では希少資源である水確保の上でも西岸は重要な意味を持っており、イスラエルはオスロ合意後も西岸の水資源の利用状況をすべてコントロールしている。さらに帯水層から得られる水の80%以上はイスラエルが使用し、パレスチナ側はイスラエルから水を購入するという構図が出来上がっている(http://documents.worldbank.org/curated/en/736571530044615402/pdf/WP-P157979-Securing-Water-for-Development-in-West-Bank-and-Gaza-PUBLIC.pdf)。
 トランプ提案は不思議なことに、これほど重要な水資源に関しわずかしか言及していない。しかし提案の付属地図は、ヨルダン渓谷とともに、西岸北部の主要な帯水層がある地域をイスラエルが併合することを示している。再処理など新しい技術が普及しても、自然の水源は社会や経済の発展に決定的な重要性を持っている。パレスチナ側の人口増加を考えれば近い将来、水問題は深刻な紛争の火種となるに違いない(https://foreignpolicy.com/2020/02/04/trump-kushner-peace-plan-israelis-palestinians-water/)。

板挟みのヨルダン

 ホワイトハウスで行われた和平案発表式典に、アラブ諸国の中ではアラブ首長国連邦(UAE)、オマーン、バハレーンの代表が参加し、事実上の支持を表明した。またエジプトとサウジアラビアも、トランプ政権の和平問題への取り組みを「評価する」との声明を発表した。その一方で、アラブ連盟緊急外相会議は和平案反対の声明を出した。個別の国としては米国との関係を重視し、正面から反対しないが、集団としては反対声明を出すことで、国内に根強い反イスラエル感情を和らげようとしているのだろう。いずれにしてもアラブ世界では、パレスチナ問題の重要性はますます低下している。
 そうした中でヨルダンは批判的な声明を出した。ヨルダンはエルサレムにおけるイスラームの聖地の保護者という伝統的な立場を堅持し、そのことがハーシム王家の支配に一定の正統性を与えてきた。しかし、和平案が既成事実化されれば、ヨルダンの伝統的な立場は大きく損なわれる。しかもヨルダン国内には最多のパレスチナ難民が住み、ムスリム同胞団をはじめイスラエルとの関係強化に反対する勢力がいる。ハーシム王家は国内からの突き上げと、和平案受け入れを迫るトランプ政権の強い圧力にさらされ、苦境に立たされるだろう。
 パレスチナ問題の重要性の低下は、アラブ世界に限らない。国連安保理は2月にこの問題を取り上げた。だがトランプ和平案を非難する決議案は採択されないまま取り下げられ、結局、二国家解決案への支持を呼びかける議長声明でお茶を濁した。EU内でも同じように、トランプ案を批判する決議成立を目指す動きがあった。しかし、イスラエルとの関係を重視するイタリアやハンガリー、チェコなどが同意せず、27か国として統一見解を出せなかった。

イランは「共通の脅威」か

 トランプ案はまた随所でイランの脅威を強調し、イスラエルとアラブ諸国に安全保障上の協力拡大を呼びかけている。例えば欧州安全保障協力機構(OSCE)と同じような「中東安全保障協力機構(OSCME)」の結成を呼び掛けている。だがこの呼びかけには、明らかに概念上の混乱がある。OSCEは冷戦時代に当時のヨーロッパにおける東西対立を枠組みとして作られたものであり、対立を超えてすべての当事者が参加し、安全保障協力を行う包括的な取り組みである。その点で「共通の敵」に対抗する排他的な同盟とは原理的に異なっている。ところがOSCMEはイランという「共通の脅威」への対抗を前提とした排他的な地域機構を想定したもので、明らかに同盟の考え方に基づいている。
 その意味では2017年にトランプ政権が結成を呼び掛けた中東戦略同盟(MESA)の方が、「アラブ版NATO(北大西洋条約機構)」と呼ばれているように、反イラン同盟に近い。しかし、提唱からすでに3年近くが経つが、MESA結成の動きは具体化していない。最大の理由は、トランプ政権がいうほどアラブ諸国はイランを「共通の脅威」として排除する考えを持っていないからだ。湾岸協力評議会(GCC)加盟国の間でも、カタールとオマーン、クウェートとはもともとイランとの関係を有している。UAEも昨年夏に6年ぶりにイランとの海洋安全保障対話を再開した。サウジアラビアもイランとの対話の機会を模索していると報じられている。むしろイスラエルを含め中東諸国の多くは、米国の中東に対するコミットメントの空洞化に不安を感じている。

構造的な非対称性

 オスロ合意以降の和平プロセスが失敗し、二国家解決案が実現しなかった背景には、暴力の応酬、相互不信、パレスチナ内部の対立などさまざまな原因がある。だがより根本的な失敗の原因は、オスロ和平プロセスが当初から内包してきた当事者間の構造的な非対称性にある。イスラエルは主権国家であり、占領国であるが、パレスチナ側は主権を持たない被占領者である。このためこの27年間、イスラエルはあらゆる面で圧倒的な力を行使してきたが、パレスチナ側には有効な対抗手段はなかった。
 構造的な非対称性はイスラエルの入植活動に最も端的に表れている。1993年には11万人だった西岸のユダヤ人入植者数は、2018年には42万人とほぼ4倍に増加した。トランプ提案はこうした構造的な非対称性が作り出してきた既成事実を、「今日の現実」として追認したに過ぎない。
 だが二国家解決案の「死」は、パレスチナ問題の終焉を意味していない。パレスチナ人の人口はこれからも増え続ける。特に現在でも人口密度が世界有数の高さにあるガザの場合、2050年には2倍以上の500万人近くになる見込みだ。しかも13年に及ぶイスラエルによる封鎖の結果、ガザの失業率は60%を超えている。西岸や東エルサレムでも、パレスチナ人住民とイスラエル軍やユダヤ人入植者との暴力的な衝突が確実に繰り返されるだろう。パレスチナ人住民は腐敗がはなはだしいマフムード・アッバス大統領が率いるパレスチナ自治政府を信頼していない。その自治政府が和平案受け入れを拒否していることに対する「懲罰」として、トランプ政権は対パレスチナ援助をほとんど停止している。自治政府が崩壊する可能性は否定できない。
 イスラエルがかつて二国家解決案の実現を目指したのは、占領地から撤退することでパレスチナ問題と自国との関係を断つことだった。言い換えれば、占領というイスラエルの「国内」問題に終止符を打ち、「隣国」の問題として外在化することだった。しかしトランプ提案によって、本当の意味での二国家解決案実現の可能性が潰えた以上、イスラエルはこれからも「占領-被占領」という関係を続けなければならない。占領の継続はイスラエルの民主主義に深刻な問題を引き起こすだろう。
 日本を含む国際社会も新たな対応を模索する必要がある。国際社会はこれまで二国家解決案実現の推進という目標を掲げて、対パレスチナ支援を行ってきた。しかし、この目標はすでに説得力を失っている。それ故に日本を含む国際社会は、新たな援助目標を設定する必要がある。今後、最も求められる援助は、さらに厳しい状況に直面するパレスチナ社会のレジリエンス強化に資することである。そのためにはコミュニティを基盤にした援助の拡大が求められる。同時に国際社会はイスラエルに対し、占領国としての責任を果たすようもっと要求すべきである。


(図)トランプ和平案が描くイスラエルと「パレスチナ国家」

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(出所)『平和のためのビジョン』Appendix I。