コラム

『China Report』Vol. 39
中国新指導部の"プロファイリング"⑧:
黄坤明 習近平の宣伝部長

2019-07-19
李昊 (日本国際問題研究所 若手客員研究員)
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 2017年10月、中国共産党第19回全国代表大会(通称:党大会)と第一回中央委員会全体会議(通称:一中全会)が開かれ、中国を治める新しい指導部が発足した。本シリーズでは、新しい指導部の注目すべき人物について、①経歴、②人脈、③政策、思想的傾向、④今後の展望の四つの視点からプロファイリングを行い、紹介している。今回は新政治局委員の黄坤明(こうこんめい)を取り上げる。

経歴1
 黄坤明は福建省上杭県の出身である2。上杭県は竜岩地区(1971年までは竜岩専区、1997年以降は竜岩市)に所属しており、黄坤明は1999年まで、従軍期(1974-1977、陸軍32966部隊84分隊)と福建師範大学在学期(1978-1982、政教系3)を除いて、竜岩に勤め、行政職員や上杭の隣県である永定県の党委員会書記、竜岩市長などを務めた。
 1999年から2013年までは浙江省でキャリアを積んだ。湖州市長(2000-2003、2000年までは市長代理)、嘉興市党委員会書記(2003-2007)4、浙江省党宣伝部長(2007-2010、省党委員会常務委員兼任)、杭州市党委員会書記(2010-2013、浙江省党委員会常務委員兼任)などを務めた5。2012年の党大会では、中央委員会候補委員に選出された。黄坤明は1993年以後、殆どの期間を地方都市の党委員会書記あるいは市長として過ごしてきた。黄坤明は地方行政官としてキャリアを積んだ。
 2013年以後、黄坤明は中央宣伝部で活動するが、それまで宣伝部門に関わったのは2007年から2010年の2年余り、浙江省党宣伝部長としてのみであった6。2013年に中央宣伝部副部長として北京に移り、2014年には中央宣伝部常務副部長(正部長級)兼中央精神文明建設指導委員会弁公室(中央文明弁)主任に昇進した7。2017年の第19回党大会後の一中全会で政治局委員及び中央書記処書記に選出され、直後に中央宣伝部長に昇進した8。中央精神文明建設指導委員会の副主任を兼任している9

人脈
 黄坤明は習近平と親密であることが知られている。習近平は2002年から2007年まで浙江省党委員会書記を務めており、その時期の部下からなる人脈は「之江新軍」と呼ばれる10。黄坤明は陳敏爾や蔡奇と並んでその一員であると考えられている。黄坤明は、習近平浙江省党委員会書記の下、嘉興市党委員会書記を務め、2007年に習近平が上海に移るまで、両者は直接的な上司部下関係にあった11。『読売新聞』によると、この時期習近平は黄坤明について「人柄が良く、苦労を惜しまない」と高く評価したという12。浙江省時代に、両者の交流が深まったことは間違いないだろう。ただし、黄坤明が浙江省党宣伝部長になり、省党委員会常務委員に昇進するのは2007年6月であり、この時習近平はすでに上海に移っている。そのため、黄坤明の宣伝部門での活動ぶりについて、習近平は間近で観察していたわけではない。
 また、黄坤明と習近平は同じ時期に福建省にも勤めている。そのため、黄坤明は習近平「閩江旧部」の一員とも言われる13。習近平は1993年より福建省党委員会常務委員を務めていたので、下級の地方幹部であった黄坤明とも多少は交流があったと思われるが、直接的な上司部下関係にはなく、この時期にどの程度個人的な関係を築いたかは疑問である。
 黄坤明は2013年に杭州市党委員会書記から、中央宣伝部副部長に抜擢されるが、この人事に習近平の意向が反映されていると考えるのは自然であろう。
 黄坤明と他の政治エリートの関係については殆ど情報がない。もちろん、陳敏爾や蔡奇などの浙江省関係者とは交流があると思われるが、共産主義青年団に関わった経験もなく、胡錦濤や江沢民など前の世代の指導者との関係は殆どないと思われる。

政策、思想的傾向
 黄坤明は地方幹部の経験が長く、公刊されている署名記事は殆どがその役職を反映した内容となっている。福建省時代には、福州市で発行されている『発展研究』に度々経済建設に関する記事を発表している。浙江省の湖州市及び嘉興市時代は農業近代化、都市化、都市農村一体化などについての論考が『今日浙江』などの雑誌に掲載されている。浙江省党宣伝部長時代は殆ど署名記事がなく、杭州市党委員会書記となった2010年以降は、都市建設や工業化、経済発展モデルの転換、イノベーションなどに関する論考を『今日浙江』や『杭州』などの雑誌に発表している。黄坤明が長らく行政官として、勤務地が直面する政治課題に取り組んできたことがわかる。これらの記事を通して、黄坤明個人の政策選好を知ることは難しい。
 2013年以後、宣伝部門に移ってからの黄坤明は、習近平の権威を高めることに努めており、習近平の個人崇拝キャンペーンを推進している。習近平が「核心」としての地位を獲得した2016年の第18期六中全会後の記者会見において、スポークスマンを務めた黄坤明は、習近平を党の核心とすることは「全党の高度なコンセンサス」であり、「全党全軍全国各民族人民の共通の願い」であると説明した14。2017年の党大会後に中央宣伝部長に昇格した後、黄坤明は立て続けに『人民日報』に署名記事を掲載し、「社会主義核心価値観」や習近平の「治国理政」について論じた15。特に12月20日の記事は、「習近平の新時代の中国特色ある社会主義思想」の素晴らしさを説くことに終始している。中央宣伝部長としての黄坤明は、習近平への権力集中を支え、個人崇拝キャンペーンを展開している。もちろん、自らの最大の後ろ盾である習近平を支えることは、黄坤明自身の利益に直結するものである。今の黄坤明は党の中央宣伝部長であると同時に、習近平の宣伝部長のようである。
 黄坤明の考え方を知るために、もう一つ言及するに値するエピソードがある16。2018年の10月に、香港メディアの代表団が北京を訪問し、黄坤明と面会した。面会のあと、代表団長を務めた星島集団行政総裁の蕭世和は、黄坤明が「香港メディアが内地の政治に干渉する拠点とならないよう望む」と発言したと伝えた。しかし、翌日の香港メディアの多くの報道ではこの発言が削除されていた。それに対して、一部の香港メディアは共産党の指示(即ち香港メディアへの干渉)あるいは自己検閲があったのではないかと指摘し、問題視した。共産党による香港メディアへの干渉や自己検閲があったとはっきりとは断定できないが、仮に発言が事実であるとすれば、黄坤明は香港メディアを強く警戒していると考えられる。

今後の展望
 2017年の党大会後の一中全会において黄坤明は政治局委員に選出され、直後に中央宣伝部長に就任した。現在、黄坤明は活発な動きを見せ、習近平の宣伝部長として習近平の権威を高める宣伝を主導している17。2018年の夏に政治局常務委員でイデオロギー・宣伝部門を司る王滬寧が約一ヶ月に渡って公の場に姿を見せず、失脚説が流れた。当時王滬寧が批判されていると推測された要因の一つに習近平個人崇拝キャンペーンの推進が挙げられた。しかし、直接の当事者である黄坤明がそれで強い批判を受けたという確たる情報はない。夏以降も習近平を讃える宣伝は続けられており、黄坤明の地位にも動揺は見られない。
 2018年の党及び国家機構改革において、それまで国務院の管轄下に置かれていたニュースや出版、映画などメディアに関わる部署は全て中央宣伝部の管轄に入ることになり、中央宣伝部の権限が一層強化されることとなった18。中央宣伝部の副部長たちの多くは関連の国家機関の責任者を務めている。例えば、国家映画局長(王暁暉、中央宣伝部常務副部長兼任)、国務院新聞弁公室主任(徐麟)、国家ラジオ・テレビ総局長(聶辰席)、国家インターネット情報弁公室主任(荘栄文)19、中央ラジオ・テレビ総局長(慎海雄)などである20。黄坤明はこれらの組織を一手に束ね、宣伝工作を主宰し、大きな権力を手にすることとなった。今後もこの宣伝部門の権力を利用し、習近平を支えていくものと思われる。
 1956年11月生まれの黄坤明は、年齢上は2022年の次期党大会時も留任が可能である。習近平の後押しによる政治局常務委員への昇進も理論上は可能だが、黄坤明は中央宣伝部長を除いて、地方トップや重要部門責任者を務めた経験がなく、経験不足が否めない。中央宣伝部長に留任し、合計十年間務めた後、定年で引退する可能性も高い21




1 黄坤明の公式経歴については、新華社のウェブページを参照(http://www.xinhuanet.com//politics/leaders/2017-10/25/c_1121856560.htm 2019年4月11日閲覧)。
2 1929年に古田会議(紅軍第四軍第9回党代表大会)が開催された古田村(現在古田鎮)はこの上杭県にある。古田会議は中国共産党の歴史で、党が軍を領導する原則が確立された重要会議とされている。2014年の10月に、習近平は古田で全軍政治工作会議を開催している。「古田会議(1929 年12月28-29日)」中国共産党新聞党史百科(http://dangshi.people.com.cn/GB/165617/166496/168108/10011265.html 2019年4月15日閲覧)。「全軍政治工作会議在古田召開 習近平主席並発表重要講話」新華網、2014年11月1日(http://www.xinhuanet.com//politics/2014-11/01/c_1113074055.htm 2019年4月15日閲覧)。
3 系は日本の大学の学科に当たる。政教系は、マルクス・レーニン主義や毛沢東思想などのイデオロギーなどを学ぶ学科である。なお、文化大革命中は停止されていた全国大学入学試験は1977年に再開されており、黄坤明は試験を経て大学に入学したと思われる。
4 嘉興市は中国共産党第一回党大会が開催された場所でもある。第一回党大会は、当初上海のフランス租界で開催されていたが、官憲に発覚したため、場所を嘉興市の南湖上の船上に移した。「中国共産党第一次全国代表大会簡介」中国共産党歴次全国代表大会数拠庫(http://cpc.people.com.cn/GB/64162/64168/64553/4427940.html 2019年4月16日閲覧)。
5 黄坤明は2005年から2008年にかけて、清華大学公共管理学院で管理学博士の学位を取得している。このように在職のまま学位を取得するのは、今期指導部の多くの人物に共通するパターンである。
6 浙江省党宣伝部長の前任者は現重慶市党委員会書記の陳敏爾である。
7 中央精神文明建設指導委員会は中国共産党の宣伝工作を司り、中央宣伝部の上位に位置づけられる組織である。現在の主任は政治局常務委員の王滬寧である。同委員会の日常業務を担う弁公室主任は通常中央宣伝部副部長が務める。
8 新華社の公式経歴は更新されていないが、中央文明弁主任は新しい中央宣伝部常務副部長の王暁暉に交替している。「全国文明弁主任会議在京召開」中国文明網、2019年1月9日(http://www.wenming.cn/specials/hy2019/wmbzr/jj/201901/t20190108_4965929.shtml 2019年4月15日閲覧)。
9 「中央精神文明建設指導委員会召開第一次全体会議 王滬寧主持会議並講話」新華網、2018年2月5日(http://www.gov.cn/xinwen/2018-02/05/content_5264077.htm 2019年4月15日)。
10 「反腐風熾『之江新軍』崛起 習近平旧部同郷同学上位」『明報』2015年1月10日。
11 嘉興市は省の次の行政レベルである地級市であり、その党委員会書記は省党委員会の直接の領導を受ける。
12 「メディア統制意のまま 再編実行役は旧知の忠臣」『読売新聞』2015年2月27日。
13 「習班子成形 重用自己人 旧部旧識占多数 章立凡:易偏聴偏信」『明報』2015年10月3日。閩江は福建省に流れる川であり、福建省の略称「閩」の由来となっている。「閩江旧部」というのは、「之江新軍」という言葉が流行したのに対応して、習近平の福建省時代の人脈を表現するために作られた言葉である。
14 姜潔「中央宣伝部挙行新聞発布会 介紹党的十八六中全会情況」『人民日報』2016年10月29日。
15 黄坤明「培育和践行社会主義核心価値観」『人民日報』2017年11月17日、黄坤明「新時代中国共産党人的思想旗幟 読《習近平談治国理政》」『人民日報』2017年12月20日。
16 本段落の記述は、「中宣部長晤媒体高層団:『港媒勿成干擾内地政治基地』」『明報』2018年10月17日、「訪京団蕭世和:核理筆記後 文字版為準」『明報』2018年10月18日を参照した。
17 『読売新聞』は一連の習近平個人崇拝キャンペーンについて、習自身の望みというより、黄坤明以下、各地の宣伝担当者らによる忠誠競争がもたらした暴走だったという見方を示している。竹内誠一郎「毛沢東の『亡霊』 夏に漂う」『読売新聞』2018年9月2日。
18 「中共中央印発《深化党和国家機構改革方案》」新華網、2018年3月21日(http://www.xinhuanet.com/politics/2018-03/21/c_1122570517.htm 2019年4月16日閲覧)。
19 荘栄文は2018年まで8月までは国家新聞出版署長も兼任していた。
20 各部門の名称は筆者が日本語に翻訳した。なお、それぞれの部門の責任者の人命と役職は、『人民日報』に報じられており、各人名や「中宣部副部長」をキーワードとしてデータベースで検索すれば、確認できる。煩雑になるのを避けるため、ここでは具体的な出典の明記は割愛する。なお、報道によって確認できる中央宣伝部の現任副部長のうち、国家機関の部門責任者ポストとの兼任が報じられていないのは、蒋建国、孫志軍、梁言順の三人である。
21 黄坤明の前任者の劉奇葆は5年で退任したが、その前の丁関根、劉雲山はいずれも10年間中央宣伝部長を務めた。