コラム

ウクライナ危機の現段階と日本

2014-07-22
下斗米伸夫 (法政大学教授・当研究所ロシア研究会主査)
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 5月25日のウクライナ大統領選挙によって、本年2月から激化してきたウクライナ危機は新しい段階に入ったといえよう。大統領選挙では世論調査の予測どおり親欧米派のペトロ・ポロシェンコ氏が54パーセントを超える票を取って勝利した。東部の親ロシア票はボイコットするか、あるいは参加できなかったが、ようやく正統性のある政治権力が生まれた。
 米副大統領バイデンやロシア大使も参加した6月7日の大統領就任式でポロシェンコは、1)武装勢力との停戦、2)ロシア語の権利の承認、3)EUとの連合協定を進める、と語った。この紛争収拾の鍵を握るプーチン大統領も選挙結果を尊重し、また6日のポロシェンコとの会見で停戦を歓迎すると言った。またブリュッセルでのG7開催とノルマンディーでの欧米首脳やオバマ米大統領、プーチン・ロシア大統領を含む70周年記念行事の中で、ウクライナでの新しい関係のパターンが生まれてきているかに思われる。
 もちろんまだ状況は安定化どころか、東ウクライナでの「反テロ」活動と「反政府」活動の対立は終わっていないが、以下その紛争の原因、現段階の特徴と今後を考えてみる。もちろんウクライナ危機は冷戦後最大の複合的にして多様な要因からなる危機であり、その範囲は宗教から歴史に及ぶi。このため原因の特定は容易ではないが、ことロシアに関わる限り、安全保障という要因抜きには考えにくい。
 
1 紛争の原因
 今回の紛争の最大の謎は、2月マイダン革命による「暫定」政権成立後、クリミア併合までは考えていない(3月4日)と言っていたプーチン大統領がなぜ翻意し、18日のロシア連邦へのクリミア編入までいたったのかということである。この事態は国連安保理常任理事国であるロシアによる「力による国境線変更」という冷戦後最大の東西関係の危機を招いたからである。プーチン大統領は5月23日の世界の通信社との会見で、クリミア編入の直接の原因は「カラー革命」による政権奪取とNATOのウクライナ、クリミア進出であると言った。
 もちろん90年代後半NATOの東方拡大がロシアの安全保障に与える危惧の念は、当時から冷戦の闘士だったキッシンジャーや欧米の大使経験者などによっても発せられていた。にもかかわらずクリントン元大統領らが主として内政要因、つまりポーランドなど東欧移民票目当てで実施したというのは現代史の常識であろう。もちろんポーランドやバルト諸国からの自国の安全保障への懸念が寄せられたことも重要であった。
 とりわけこれが東欧だけでなく、旧ソ連圏、しかもロシアが兄弟国と考えるウクライナへのNATO拡大と、これに伴う親欧米政権樹立という「オレンジ革命」のシナリオが生まれたことでロシアの危機感は強まった。旧ソ連圏をロシアの特殊な利害や関係を有する地域と考えがちのモスクワの指導者と、この地域に「地政学的多元主義」と呼ばれるように反ロシア・ブロックを形成し、なかでもウクライナとロシアとを離間したいアメリカの戦略とは最初から不協和音があった。
 クリミア編入の事情について、ロシア・カーネギー・センター所長のトレーニンによれば、実はNATOのウクライナ拡大の危惧とこれへの対応策は2008年からモスクワで密かに検討されたという。「オレンジ革命」で生まれたユーシェンコ大統領、とくにティモシェンコ首相、ヤツェニュークらのコンビがウクライナへのNATO拡大策をねった。もっとも2010年に親ロシア派と目されるヤヌコービッチ政権が登場したことでこの危惧は遠のいたかに思われた。なかでも2010年にはメドベージェフ大統領とヤヌコービッチ大統領とがハリコフ合意を締結した。この骨子は黒海艦隊の駐留を2042年まで延ばし、その代わりにガス代金を3割値引く、という「経済(ガス)と安全保障(黒海艦隊)との交換」というロシア=ウクライナ関係のいわば安定装置であった。
 だが2013年末、プーチン大統領とのガス代金値引き交渉を成功させた見返りとしてEUとの連合協定を反故にしたことからキエフのマイダンで抗議運動が高まり、2014年2月までに政府危機に至った。この過程でアメリカ国務省のヌーランド次官が2月革命前、このようなシナリオを謀る電話の内容が漏示された。さらにヤヌコービッチとの連立という欧米との2月21日の合意を破棄した勢力がトゥルチノフ大統領代行や米国がこだわったヤツェニューク首相らからなる「暫定」政権を成立させて以後、ロシアは危機に備えていたというべきだ。事態は武力による権力奪取だとプーチンは考えた。
 こうして2月末に発足した暫定政権にプーチンは不信を高め、上院に武力行使の許可を求めた。それでも大統領が3月4日まではクリミア併合を否定していたにもかかわらず6日以降ロシアの政策が急変した理由は何か。本当の責任は獄中からマイダンに戻ってきた政治家で「ガスの女王」とのあだ名のあったユリア・ティモシェンコの不用意な発言にあったというべきだ。実はプーチンからしても彼女とはガス協議を通じて妥協可能であると密かに見られていた。ところがその人物が3月5日にBBCウクライナとのインタビューで、2020年までにロシアへのガス依存を放棄、同時にロシア黒海艦隊延長というハリコフ合意も拒否した。このことからプーチンらロシア指導部は政策を変え、「固有の地」と考えられたクリミア編入に至ったii。この発言はクーデターによるNATOのクリミア進駐、そしてロシア向けのミサイル防衛網を敷設する宣言に他ならなかった。こうしてプーチンは同地での圧倒的な世論調査をまって18日にはロシアに編入した。
 国際社会はプーチン・ロシアを国連安保理で処断した。それでも実は国連決議に賛成したのは日米など100か国、反対は北朝鮮など11か国、そして棄権は中国、インド、それに意外に見えるイスラエルなど58か国である。特に興味深いのはイスラエルの棄権で、かつてのウクライナの親ナチ勢力が形を変えて西部民族主義者となって治安部門や右翼を構成していることへの危惧があろう。1941-44年にナチスの迫害でウクライナで亡くなったユダヤ人は100万人近くに上るという。ガリツィア(ハリチナ)の親衛隊などがこれを幇助したことの記憶は「右派セクター」など暫定政権を支える勢力への恐怖となった。

2 ポロシェンコ体制の可能性
 それではポロシェンコ政権が危機を克服する可能性はどの程度存在するだろうか。
 第一にいえることは、危機をめぐる欧米とロシア、そして「二つのウクライナ」を構成する東南部と西部との非正常な関係のなかで、ようやく正統な権力が発足したことである。もちろん紛争の収拾にはほど遠いし、東西双方の武装集団は対立姿勢を崩してはいない。それでもポロシェンコ新大統領はチョコレート王の異名もあるオリガルフ(財閥)出である。ウクライナ政治の宿痾は、東西の分裂に加え、政治に関与する経済エリートがしばしば腐敗し、私的利害から政権に参与することである。これに大統領制単一国家であることからしばしば妥協を嫌い、権力が「総取り」する性格をあげてもいいだろう。もっともその枠内で言えばポロシシェンコ氏は外相・経済相など閣僚経験もあり、またロシアとの経済的つながりもあって、確実に悪化する政治経済状況の中では一定の期待をつないだ。東部のリナト・アフメトフ、同じくドニェプロペトロフスクのイホル・コロモイスキー知事といった悪名高いオリガルフと比較すれば、実業家で、ものつくりの経験があるだけでも悪くはない。
 もっともポロシェンコが大統領となったからといって権力が同時に実効性までを得たわけではない。否この2月革命の最大の問題は、ただでも破綻していたウクライナ国家の解体をいっそう助長し、治安部隊など「シロビキ」を武装解除、かわってアモルフな「自警団」、とりわけオリガルフの「私兵」を野放しにしたことであろう。オデッサやマリウポリの惨劇の背景にコロモイスキーなど親米系オリガルフがある。実際暫定政権の「シロビキ」の中核となった右派セクターの武装勢力や破綻寸前の経済状態など新政権にとって課題は山積だ。とりわけ東部との連邦制など憲法改正で西ウクライナの右派勢力をおさえて政治の指導力を発揮できるだろうか。ロシア語公用化にはポロシェンコは踏み出したが、それ以外はこれまでの経験に照らしてもあまり明るい材料はない。
 なかでも第一の政治問題は、東部勢力が望んでいる憲法改正、とくに連邦制問題である。ポロシェンコの就任演説にはウクライナは「単一国家」であるべきだという強い主張がある。地方分権化は政治日程にもあるが、東南部の親ロ派が主張する連邦制は除外されている。その間に接点を見いだせるだろうか。しかし「西部」が「欧米」の協力で知事任命制を強要するなら問題の解決からは遠い。国民和解への協力が必要というべきだ。
 第二の政治問題は、「クリミア」問題の処理である。4月17日の4者協議が示しているようにこの問題は後景に退いたかに見えたが、しかしポロシェンコはノルマンディーのプーチン大統領との会見で、同地はウクライナのものであることを強調したという。しかし就任式での発言にこの言葉はない。それどころかロシア紙にはウクライナが賠償問題を提起していることを放棄のサインとすらみている。ロシアにもクリミア購入論が一部で提起されているiii。1954年の同地の帰属替えがフルシチョフ第一書記の専横によるものであるとすれば、この問題を賠償で解決することには合理性があるが、西部右派民族派を押さえるには時間が必要だ。チェコの大統領ミロシュ・ゼーマンも主張するようにこの地はロシアのもので解決した方が安定のためにはいいだろうiv。 
 
3 勝利者無き紛争と日本の役割
 それにしてもこのウクライナ危機とはいったい何だったのか。結局この紛争に勝者はなかった。新冷戦の触れ込みでいきり立った欧米とロシア双方の強硬派は警戒感を緩めていないが、主要勢力はこれ以上争いには利益がないとばかりに引き際を模索し始めたかのようだ。
 実際欧米の経済制裁は各国とも総論賛成だったが、各論は反対続出であった。特に評判を落としたのは、厳しい言い方になるが、第二のオレンジ革命とばかりに紛争に火をつけながらほとんど想定外の展開に方針すら出さなかったオバマ政権であろう。米国はこの地でもともと軍事力を動員する予定はなかったし、暫定政権への対テロ支援をしたものの、何よりクリミア喪失、東西分裂、オデッサの惨劇、東西の怨念の噴出といった想定外の展開に、大統領やケリー長官、ヌーランド次官らは国際的には沈黙気味だった。中間選挙向けに強いアメリカを演出したかったのだろうか。6月はじめオバマ大統領はポーランドでNATOへの10億ドルの援助を出すこと、またウクライナ軍にも協力をすることを申し入れている以外は一種の口先介入となってきた。米ロ関係のリセット論が半ば挫折してからオバマ政権には対ロ政策がないようにみえる。環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)交渉ではこれからヨーロッパの2-3割のガスが米国からLNGで入る。つまりロシアと米国が入れ替わるといわれる。しかしウクライナとの関係をロシア抜きに解決できると米国政府ははたして考えているのだろうか。
 他方でEU、特にドイツはロシアとの経済依存を犠牲にしてまでつきあうつもりはなかった。5月にはメルケル政権はプーチン大統領とも結果的に連係して収拾に回ってきた。その後ロシアの抵抗も予想されるなか、ポロシェンコ大統領はEU連合協定を進めようとしているが、はたしてどこまで実利があるのか。詳説はできないが、何より最大の経済、そして政治問題でもあるガス価格はロシアの協力抜きには想定できない。
 あまり気づかれなかったが重要性を増したのは宗教の政治的役割であった。ロシアのクリミア半島併合には宗教色はほとんど感じなかったが、東ウクライナの老人たちが宗教画を抱いてバリケードの前に立ちつくしていた。ドネツク人民共和国憲法には正教国家を作るという文言もある。フランシスコ・ローマ教皇が5月末エルサレムで正教との和解を主張したが、ウクライナ危機の和解に役立つのはこの正教とカトリックの和解かもしれない。西部民族派を押さえるとしたらユニエイトとローマとのつながりが重要となっている。この間オバマ大統領(3月27日)から安倍首相(6月6日)まで教皇詣でがおきた。
 結局この紛争が浮き彫りにしたのは、世界政治と経済の重点がアジアに移行しているという事実である。ロシアはこの危機を奇貨として中国とのエネルギー協力に向かった。ウクライナが欧米寄りにシフトすれば、ロシアは「脱欧入亜」する。なかでも30年で40兆円を投資するという「シベリアの力」パイプラインという世紀の企画は、チャヤンダというサハ(ヤクート)の新ガス田開発を促進するものであって、ヨーロッパのガスを転換するのではないから、日本や欧米も含めすべてに利益となろう。
 結局ウクライナ問題に即効薬はないというべきだろう。IMFの金融支援は、実際はガスプロムやオリガルフへ回るという旧態依然たる支援方針である。それでも日本としては実体経済(必ずしも金融ではないが)への中長期的援助、特に省エネ技術の導入、脱ガス化の方針を進めるべきであろう。 
 他方ロシア問題では日本は重要な局面に立ち至りつつある。あまり注目されなかったが、この5月24日にプーチン大統領は日本との関係に論及した。なかでも領土交渉に関連してプーチン氏が初めて「四」という数字に触れたことは、正当な評価が必要だ。制裁への日本の参加には失望したが、領土交渉は放棄しない、ただまだ具体案はないという趣旨であるが、彼のメッセージをいかに読むか。秋のプーチン大統領訪日も現実味を帯びるなか、ロシアに目が離せない。


i この危機における歴史と宗教への下斗米の関心は『新聞研究』6号(755号)、38頁-42頁、「危機の背景にある東西の二重性」を参照されたい。
ii http://www.novayagazeta-ug.ru/news/u217/2014/03/05/44743
iii http://www.politcom.ru/17448.html 分析家アレクセイ・ローシチンのクリミア購入論。
iv http://rt.com/news/czech-president-crimea-eu-881/