コラム

イラク情勢(ファルージャ)

2004-04-17
松本 弘(主任研究員)
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2004年4月に入り、イラク情勢がさらに混乱の度を深めている。なかでもファルージャの情勢はこれまでとは異質なものであり、その展開は今後のイラク情勢に大きな影響を与えると考えられる。しかし、状況そのものが後述のように複雑であるために理解や評価が難しく、また今後の展開についても予断を許さない。そこで、これまでの報道内容から筆者なりの観測を述べ、イラク情勢に関わる現状の認識と今後の見通しのための一助としたい。

イラク戦争後の混乱や暴力に関しては、互いに異なる3つの要素または側面があると思う。第一は、米軍やイラク要人、イラク警察に対する襲撃、国連事務所や大使館への攻撃、市中の爆弾テロなど、単発的な暴力事件を起こす者たち。彼らの正体は明らかではないが、対米ジハードを掲げる外国人および政治的・イデオロギー的対立を動機とするイラク人の犯行と考えられる。ここでは、これら単発的な攻撃やテロ事件の主体を一括して、便宜的にムジャヒディーンと呼ぶこととする。

第二は、ファルージャにおける住民と米軍との対立、衝突である。これは、イラク戦争中の昨年4月、米軍がファルージャの町に進駐したことにその端を発している。当初、米軍は住民から歓迎され、市内の学校に駐屯していた。その後、住民より米軍に対し、教育再開のために学校から撤収してほしいとの要望がなされた。この交渉自体も平和裏に始まったが、現在まで判明していない何がしかの理由により、住民と米軍の衝突が突然生じ、住民17人が米軍の銃撃により死亡してしまう。それ以降、ファルージャや近くの町マアディ、その周辺で米軍に対する襲撃事件が断続的に発生し、また住民の側も米軍の反撃により死傷者や損害が出た。そして、3月31日にテレビで現場が放送された米国人4名の殺害および遺体損壊事件が発生した。米軍が犯人逮捕のため、4月5日にファルージャを包囲して家宅捜索を始めると、武装した民兵が米軍に攻撃を開始し、ファルージャ側に600名以上の死者を出す大規模な武力衝突に発展した。

これは、反米感情と暴力との悪循環が拡大したものと考えられるが、ここにはもうひとつ「血の復讐」と呼ばれる、イスラムとは直接関わりのない部族社会の伝統的慣習に関わる感情が重ねられていると思う。「血の復讐」は近年急速に薄れつつあるものの、完全に消失したわけではない。それは、たとえばA部族民がB部族民により殺害された場合、A部族はB部族に対し「血の復讐」を宣言し、その犯人もしくは殺害された者と同等な社会的立場(性別、年齢、資産、部族内の地位など)のB 部族民を殺害するというものである。それは、他部族から受けた損害と同等な損害を相手に与えない限り、部族の名誉を守ることができないという慣習および意識である。このような部族的慣習は以前ほど絶対的なものではなくなっているし、現在の状況は、相手が他部族ではなく米軍である。それゆえ、「血の復讐」という慣習そのものではないけれども、米軍との対立・衝突や米国人遺体の損壊には、ファルージャ住民の「血の復讐」的な意識が強く反映されているように思う。

第三は、シーア派のムクタダー・サドル師を指導者とする勢力(サドル派)である。ファルージャでの上記米国人殺害事件とほぼ時を同じくして、連合国暫定当局(CPA)はサドル師の側近逮捕やサドル派の機関紙の発禁処分を行なった。タイミングが重なったのは偶然であろうが、結果としてサドル派は4月4日以降、バグダッドやクーファで暴動を起こし、バスラやナジャフ、カルバラー、クートといった南部の諸都市を占拠した。こうした暴動や占拠、米軍との衝突は、サドル派の民兵組織であるマハディー軍(勢力約1万と伝えられる)によるものとされる。ムクタダー・サドル師の父親、ムハンマド・サーディク・サドル師はフセイン政権時代に反体制運動を続け、政権により暗殺された。イラク戦争直後から、ムクタダー・サドル師は父親の熱狂的な支持者達から後継者、指導者と仰がれたが、他のシーア派指導者への対抗意識や強硬な反米姿勢により、戦後の統治や国家再建過程から完全に疎外されている。CPAに直接・間接に関わりを持つ統治評議会のシーア派の宗教指導者やシスターニー師らは、イラク戦争まで国外にいた反体制派や国内で沈黙を守っていた者たちであり、サドル派には自らが手にするはずであった地位や権力を、米国や米国と手を組んだ者たちに簒奪されたという強い不満が存在する。さらに、サドル派が疎外されたまま国家再建過程が進んでいけば、その勢力や影響力は減退・縮小の一途をたどるという焦燥感もあろう。

第一のムジャヒディーンが、第二のファルージャ住民や第三のサドル派のなかに存在する可能性も、無論ある。しかし基本的には、これら3つの要素が持つ暴力は、それぞれ対米ジハード・地域問題・権力闘争といった互いに異なる事由に基づくものである。しかしながら、ファルージャの現況に関わる最大の特徴は、これらの3つの要素が重なってしまったことにあると考えられる。ファルージャ住民の「反米」は、あくまで結果であって、当初からの目的ではない。それは、地域で生じた個別的な事件から発展した米軍との対立・衝突によって形成されたものであり、占領反対や米国の打倒、イスラム国家の建設といったイデオロギーや国内の権力闘争とは無関係なものである。しかし、米軍との対立・衝突は上記第一のムジャヒディーンを呼び込み、彼らの流入は4月5日の戦闘開始以降、急増していると伝えられる。さらに報道によれば、サドル派の民兵もファルージャに入り、米軍との戦闘に参加しているという。

ファルージャはもともとの問題を越えて、スンナ派トライアングルのなかで対米闘争の象徴となり、ムジャヒディーンが集まり、シーア派の米軍攻撃に対する非難やサドル派民兵の参入により、スンナ派とシーア派の対米共闘の可能性が取りざたされる場となってしまった。ファルージャ周辺で続発している外国人人質事件は、米軍との戦闘ないし交渉を有利にさせるための、いわばカードの入手であり、それは地元住民・ムジャヒディーン・サドル派民兵が錯綜する状況になかで生じていると思われる。一方、ファルージャを包囲している米軍の意図を考えると、これまで潜伏していたムジャヒディーンが4月5日の戦闘以降、ファルージャに集結している状況は、彼らの拘束・掃討のためのまたとない機会であるに違いない。米軍にとって、3月31日の米国人殺害事件の犯人よりも、自ら進んで目の前に現れた多数のムジャヒディーンの方が、むしろ攻撃の目的なのではないか。同じことは、マハディー軍が立てこもるナジャフやカルバラーを包囲している米軍にも言えよう。しかし、ファルージャに対する米軍の攻撃は「やり過ぎ」、「無謀」といった大きな反発、非難を呼び、統治評議会メンバーや閣僚の一部が辞任する事態ともなった。

以上の見方にある程度でも妥当性があるのであれば、武力衝突や人質事件といった問題の解決のためには、重なり合ってしまった3つの要素を引き離すことが必要である。特にファルージャ住民と米軍との対立は、あくまでファルージャの問題として解決を図るべきであり、米軍は過去1年間の経緯につき謝罪すべきことは謝罪し、死亡者に対する賠償金支払いを行なうべきである。イスラム法は、「血の復讐」といった部族の慣習法よりも上位にあり、賠償金の受け取りにより報復を放棄することを推奨している。ファルージャの側も、ムジャヒディーンやサドル派民兵の参入を当初は歓迎したのであろうが、彼らの存在が戦闘の長期化や米軍との交渉の障害になるような状況は、決して望ましくないであろう。最悪の場合、アルカーイダに乗っ取られたアフガニスタンのタリバーンのような状況に陥る可能性すらある。困難であることは確かだが、ファルージャ住民にとっては、対米闘争の象徴といったイメージを自ら否定し、ムジャヒディーンやサドル派民兵との関係を絶ち、米軍との直接交渉で双方の歩み寄りや妥協によって「ファルージャ問題」の特定と解決を図る以外に、安定を取り戻す道はない。

現在の状況は、むろん悪化の方向に推移する懸念が強いけれども、これを契機に情勢の好転につながる可能性も、そのなかに見ることができる。ファルージャ周辺の人質の解放には、イラク・ムスリム・ウラマー協会(注)やこれを母体とするイラク・イスラム党のメンバーが仲介に働いているとされる。イラク・イスラム党の党首は、イラク統治評議会のメンバーである。同じ統治評議会メンバーのシーア派指導者は、ムクタダー・サドル師の説得にあたっている。これまで、統治評議会は米国やCPAに追従しているとの評価が強かったが、その仲介活動や説得が功を奏せば、統治評議会は米国・CPAと一般イラク社会の中間に位置するとの、新たな評価が得られよう。そのような評価は、今後の国家再建過程にとって良好なものであるし、またファルージャ住民が米軍との交渉によって問題を解決することや、サドル派を懐柔し国家再建過程に取り込むことによって、逆に穏健化させるといったことにも、影響力を発揮できるのではないか。また、スンナ派とシーア派の共闘の可能性も指摘されているが、現在の状況のなかで生じた両派の接近が、対米共闘ではなく、両派を横断する政治的な主張や運動に結び付く可能性もある。それは、宗派よりも「イラク国民」という枠組みをより強く意識するものとなろう。

6月末までの主権委譲については、統治評議会拡大というかたちをとるのではなく、国連により任命される政権という案が出てきている。いずれの場合でも、現在の状況において武装勢力や地元住民と米軍との仲介または双方への説得にたずさわり、両者の中間に位置するとの評価を得られる人物が、主権委譲の対象となることが望ましい。さらに言えば、主権委譲された政権が早急に政党法や選挙法を整備し、来年1月末までに実施予定の総選挙のための公式な政党活動・選挙活動を始めさせなければならない。現在、民衆による政治的な意思表示は、実質的にデモや暴動、武力衝突しかない。政党活動や選挙活動といった、非暴力的な他の意思表示の方法や場を確立しない限り、イラクの暴力的状況や傾向は今後も収束することはないと思う。

(注) イラク・ムスリム・ウラマー協会は、日本のメディアにより「聖職者協会」と呼ばれている。しかし、イスラムには聖職者は存在しない。神と人間の隔絶性を強調するイスラムにおいては、聖なるものは神のみであり、両者を仲介する「聖なる人間・職業」は認められない。人間にできることは、ただ神や宗教についての勉強だけであって、ウラマーとはそのような「(宗教)学者」を意味する。無論、ウラマーはその学識から尊敬を集め、聖職者のような役割を礼拝や儀礼で果たすものの、妻帯や食事などの日常生活に一般人との区別は一切ない。それゆえ、「聖職者協会」という訳語は、イスラムに対する誤解を招く表現であると思う。