コラム

『Global Risk Research Report』No.2

イギリスのムスリム・コミュニティと教育

――「集住」と「隔離」に揺れるイギリス――

2018-05-24
佐久間 孝正(東京通信大学教授)
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1. フランスの人口社会学者の問題提起
 フランスの人口社会学者エマニエル・トッド(Emmanuel Todd)は、ヨーロッパの移民受け入れ大国ともいえるイギリス、フランス、ドイツの受け入れの特徴を次のように評したことがある。イギリスは色にこだわり、フランスは文化を重視し、ドイツは血統にこだわると。
 これは現在でも、なかなか意味深長なものを含んでいる。イギリスは、たしかに色、すなわち人種にこだわり、統計類でも白人や黒人という色分けをするし、20世紀最大の差別禁止法も「人種関係法(Race Relations Act)」なり、「人種関係(修正)法」として公布されている。フランスの受け入れは、たしかに同化を基本とし、エスニックごとの統計は違法とされ、むしろこだわるのはエスプリなり文化、共和国精神への忠誠である。ドイツは、ヨーロッパにしては永らく国籍法に血統主義的なものを残し、憲法が改正され、トルコ系に国籍が付与されたのは、20世紀末(1999年)のことであった。
 ヨーロッパを代表する3国も、決して同一ではなく、多様である。ここではトッドにより、色にこだわるとされたイギリスの移民労働者の近年の特徴と教育の課題をみてみたい。

2. 集住化の促進要因
  イギリスの移民受け入れに関し、隔離現象をもたらした要因は何か。大きくみれば、これまで2つの要因が指摘されてきた。1つは、選択理論(choice theory)と呼ばれるもので、移民集団はそれぞれ固有の文化、宗教を担って入国するので、イギリスに来たからといってすぐに「英国的生活様式(British way of life)」が採用できるわけではない。日常的な食生活から道徳、隣人との関係、日々の宗教行為は故郷から受け継がれる。こうした生活規則は、食料品(例えばハラールミール)を入手すること自体、単独では不可能である。自らの生活文化を守るために、同郷の者は集住する。
  これに対し、エスニックな集中をイギリスの住宅政策(拘束理論、constraint theory)に求める者もいる。イギリスは、サッチャー前首相の時代に公営住宅を大幅に民間人に払い下げたが、以前の福祉政策の影響もあり、公営住宅が充実している。しかし、新型の公営住宅も建設され、かつての旧市街地、インナー・シティの旧住宅は、1980年代、90年代に居住していた住民に優先的に売却された。
  前者がエスニックな生活文化を守るため、自ら選んだ、主体的選択によるとすれば、後者は、イギリスの地方自治体がらみの客観的要因による集住といえる。こうした2つの要因を媒介する形で、集住と隔離化をいっそう促進したのは、60年代から、70年代に強化された移民制限法の存在である。移民制限法は、文字通り海外からの人の出入りを厳しく制限するものだが、イギリスの場合は「意図せざる結果」として、イギリスでの「家族再結合(Family re-unification)」を促進させ、多くの妻や子どもたちをイギリスに呼び寄せることになった。
  イギリスでの家族再結合が、集住なり隔離をより強化することになったのはなぜか。それは、イギリス移民の圧倒的多数を占めた20世紀の移民が、インド亜大陸からのものだったことにある。インド亜大陸は、その面積をヨーロッパに移して考えると、東はイベリア半島西端のポルトガルから、東はスカンジナビア半島を除く東欧圏を含むが、イギリスへの移民輩出地域は4つの地域に限定される。
  バングラデシュは、首都のダッカではなく、北部アッサム地方に隣接するシルヘットであり、インドはグジャラート、東パンジャーブ(シクの多いアムリットサル周辺)、パキスタンは西パンジャーブ、さらにアフガニスタンに隣接する北西辺境州である。なぜこれらの地域に限定されるかは、ここでは問わない。問題は、これらの代表的なイギリスへの移民排出地域が、典型的な農村部だということである。
  途上国の農村部出身の婦人に、高学歴者は少ない。かの女らが夫の出稼ぎ国に来て、同伴家族の子どもの就学や就職、日常的な食生活等の切り盛りをすることになる。地域の教育委員会やハローワークに行って、英語を巧みに操り、学校や就職先をみつけるのは、途上国の女性には困難である。かくしてかの女らには、同郷の先に来た婦女子との情報交換が不可避になる。巨大な同郷コミュニティ出現の始まりである。

3. 教育界へのインパクト
 こうした隔離空間ができると、子どもの教育にも大きな影響を与える。イギリスの多文化教育は、「下からの浸透」と「上からの導入」に大きく分けて考えることができる。「下から」というのは、前述したような移民コミュニティの学校や自治体により採用されていった多文化教育であり、「上から」というのは、EC、EU加盟後、EU市民権教育に代表される教育施策の導入である。
 「下から」のイギリスの移民コミュニティの教育は、次のように経過した。それは移民の子どもに特別の支援をしないことも含め、これまでのイギリスの教育を押し付ける同化教育(1945-1965年)から、ブリテン島自体、イングランド、ウェールズ、スコットランドの複合文化の集まりであり、それに移民文化が追加されたとみた複合主義(1965-1975年)を経て、マイノリティの文化を尊重する多文化教育(Multi-Cultural Education、1970年代後半から80年代)へ、そしてより先進地域でのマイノリティの職員等の採用も重視する反人種差別教育(Anti-Racist Education、1980年代半ばから1990年代)へ、そして今日は、多文化という名の多分解社会・並行社会の現実を踏まえコミュニティ・コヒージョン教育(Education and Inspection Act 2006)の2007年9月からの義務化である。
 
4. 多文化主義の批判
 今日イギリスでは、多文化教育は、かつてほどの勢いがない。理由は、2001年の北部暴動や9・11を経て2005年の地下鉄爆破事件と連なるなかで、多文化主義とは、「異なった文化からなる異なった人々が存在しつつも、お互い協力し合わず、相互交流もない状態のこと。かれらはお互いに異なる服装をし、宗教的な儀礼、料理等々を知ってはいるけれど、理解しようともしなければ、深いレベルで関係しようともしない」とされたからである。しかし、これまで培った多文化教育の歴史の重みも層も厚く、地域の学校には大きな影響を与えている。

5. 今後の課題
 21世紀になり注目されているのは、コミュニティ結合教育である。コミュニティ結合とは、背景が異なっても平等な生活のチャンスがもて、個人の権利と義務を自覚し、お互いに信頼しあい、地方自治体の公平な行動に信頼を寄せつつ、そのためには、地域に対する共属の観念と未来共有の観念をもつこと、多様な価値を承認するとともに自分の所属するコミュニティに共通の価値を見出していくこと、異なる人々との間での積極的な交流を行うことである。これは、これまでの移民コミュニティにみられた大人たちの世界の氏族、部族的つながりから、市民としての自覚の教育の重視といえる。
 コミュニティ結合とは、どの人間にも部族的なつながりの前に、地域の市民として自覚し、独自の市民として行動することが求められている。こうしたことが今なお強調されるところに、イギリス的受入れの隔離化の特徴があり、これが遠隔地ナショナリズムなりホームグロウン・テロリストの温床とされている。
 イラクやシリアからの難民の新世紀を迎え、どこまで隔離化による受入れが是正されるか、正念場を迎えている。



※本稿は、「第12章 イギリスのムスリム・コミュニティと教育――『集住』と『隔離』に揺れるイギリス」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。