コラム

『Global Risk Research Report』No.4

ポスト「イスラーム国」時代のトルコの外交

2018-05-30
今井 宏平 (日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター研究員)
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 2017年に公正発展党の単独与党体制は15年目に突入した。これまで公正発展党の外交政策が変化を見せた年はいくつかあった。2005年を境に公正発展党は中東地域において仲介、説得、友好的な外交を大々的に展開するようになった。2011年の「アラブの春」を契機として、とりわけ中東地域に関して、それまで秩序の維持を最優先し、権威主義国家とも友好関係を模索してきた外交を転換し、民主化を最優先し、「アラブの春」で立ち上がった民衆を支持する立場を明確にした。2017年のトルコ外交も2005年、2011年に匹敵する大きな転換点となる年であった。例えば、トルコの新聞、ミリエット紙(Milliyet)で長年に渡り、外交のコメンテーターを務めているサミ・コーヘン(Sami Kohen)は、トルコ外交が周辺地域だけではなく、世界全体に影響を及ぼす行動を積極的に展開するようになった年として、2017年をトルコ外交にとって「積極的な年」と位置付けた。
 2018年の年頭の挨拶において、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は「地域における諸問題の解決なしにトルコの将来的な安全保障は確保されないという現実があるので、我々はより活発でより勇敢、そして場合によってはよりリスクを冒す外交を展開する」と述べるとともにオスマン帝国の遺産と現実主義的な対応という2点を強調した。オスマン帝国の遺産とは、オスマン帝国の領土であったアフリカ、中東、バルカン半島の国々の諸問題に関して、トルコは責任を負っているという自負である。
 もちろん2017年は転換点であったが、それ以前から変化の兆候はあった。まず、2003年以降、首相の外交アドバイザー、外務大臣、首相として公正発展党の外交に携わり続けてきたアフメット・ダーヴトオールの2016年5月における失脚であった。ダーヴトオールの外交政策の特徴は、「中心国」としてオスマン帝国の領土であった地域の事象に対応すること、その際に用いる手段は武力よりも仲介、貿易、援助といった非軍事的なものであることであった。彼の「中心国外交」、言い換えればオスマン帝国の歴史的責任を重視する考えは継続していると考えてよいだろう。一方で、現在の公正発展党の外交は、ダーヴトオールの時代よりも軍事力を重視するようになっている。その良い例がシリアである。ダーヴトオールはシリア内戦に的確に対応できず、次第にその泥沼にはまっていったが、エルドアン大統領はシリアに介入するだけでなく、シリアの将来については必ずしも意見が一致しないものの、内戦の終結という点では共通の利害を有するロシア及びイランとアスタナ会合を開催するなど、極めて現実的な外交を展開している。
 また、2015年11月24日のロシア軍機撃墜事件で悪化したロシアとの関係を2016年6月末に改善にこぎつけると、それ以降、両国関係は急速に緊密化した。2017年に入るとシリア内戦の停戦交渉であるアスタナ会合は2017年だけで8回も実施された。また、トルコは北大西洋条約機構(NATO)の加盟国であるにもかかわらず、2017年末にロシアから最新鋭の地対空ミサイルシステム「S400」を購入することに合意した。さらにロシア人観光客がトルコに戻ってきたことで、停滞していたトルコの観光収入は2017年に大きく増加した。
 その一方で深刻になったのは、トルコの長年の同盟国であるアメリカとの関係悪化である。当初、トランプ大統領の誕生でトルコ・アメリカ関係は緊密化すると予想されていた。2013年夏に起きたアサド政権の化学兵器使用疑惑の際に、オバマ政権がアサド政権に武力行使を行わなかったこと、そしてトルコがクルディスタン労働者党(Partiya Karkerên Kurdistan: PKK)と同一視する民主統一党(Partiya Yekîtiya Demokrat: PYD)および人民防衛隊(Yekîneyên Parastina Gel:YPG)への支援を行ったことからオバマ政権との関係が次第に冷却化したためである。また、トランプの対抗馬であったヒラリー・クリントンに関しては、もし彼女が大統領になればPYDおよびYPGを中心に対IS戦を展開すると宣言していたこと、そして彼女にはトルコが2016年7月15日のクーデタ未遂事件の首謀者と見なしているフェトフッラー・ギュレン師の関連企業から資金援助が行われていた。さらにトランプが勝利した場合、安全保障関連の役職への就任の可能性が指摘されていたマイケル・フリンがトルコ政府と良好な関係にあったと言われていた。こうした諸点から、トランプの勝利をトルコ政府は歓迎した。
 しかし、実際にはトランプ政権下のアメリカとトルコの関係が緊密化することはなかった。トランプ政権はオバマ政権の政策を踏襲し、シリアにおいてPYDおよびYPGを支援した。トルコがアメリカに要求しているギュレン師の引き渡しに関してもオバマ政権の時と同様、進展が見えない。10月にはイスタンブルのアメリカ領事館で働いていた職員がギュレン運動に加担していたことを理由に逮捕されたことで、アメリカは一時滞在に必要なヴィザのトルコでの発給を停止した 。トルコ側も対抗措置としてアメリカ国内でのヴィザの発給を停止した。また、トルコがアメリカの対イラン制裁に違反し、イランの制裁逃れを手助けしていた可能性が浮上し、関係者がアメリカで逮捕され、2017年12月に尋問が行われた。そして、トランプ大統領が12月6日にイスラエルの首都をエルサレムとするということを突如発表した問題においては、エルドアン大統領は非常に強い口調でこれに反対し、イスラーム協力機構(OIC)の議長国として、12月13日にイスタンブルでOICの緊急首脳会合を開催し、その会議で東エルサレムをパレスチナの首都とすることなどを明記した「イスタンブル宣言」の採択で中心的役割を果たした。
 2017年6月5日から始まったカタル断交に際して、トルコはカタルを全面的に支持する方針を明らかにしたが、トルコのカタル重視は2007年頃から安全保障面において顕在化してきていた。2007年、まず、トルコとカタルは防衛産業協力協定に調印した。次いで2012年には軍事訓練協定を締結、さらに2014年9月にエルドアン大統領がカタルを訪問し、タミーム首長と会談、両国間でハイレベル対話・協調二国間メカニズムを確立することを決定した。2014年12月19日には両国の防衛大臣によってハイレベル対話・協調二国間メカニズムの一環として「軍の教育・防衛産業・トルコ軍のカタルへの駐留に関する協定」が調印、2015年3月19日にこの協定の施行およびその期間を10年とすることがトルコの官報に掲載され、同協定が効力を持つようになった。6月23日にサウジアラビア、UAE、バハレーン、エジプトが提示した断交解除のための13項目のリストの中には、カタルのトルコ軍基地の閉鎖、カタルでの両国の軍事協力の停止が含まれていたが、トルコ政府はこの要求を受け入れるつもりはないと返答している。トルコ軍とカタル軍は8月に共同で軍事演習を実施、さらにトルコは物資の援助および貿易も継続して行っている。
 2016年まで、トルコの中心国外交の主要なターゲットは東アラブであった。しかし、2017年には湾岸地域および北アフリカに対するトルコの関与が色濃くなりつつある。カタル断交への積極的な介入に加え、湾岸地域に近いソマリアのモガディシュにも2017年9月30日に軍事基地を設立した。また、2017年12月のスーダン、チャド、チュニジア歴訪の中で、エルドアン大統領はスーダンのスアキン島の購入に前向きな姿勢を見せた。
 本レポートで見てきたように、トルコにとって2017年は新たな外交の幕開けを予感させる年であった。このトルコの「積極的かつ現実的な」アプローチは2018年も継続すると思われる。もちろん、懸念もある。とりわけ、2019年11月に控えるトルコにおける大統領選挙と総選挙のダブル選挙に向けた重要な年であり、公正発展党の政策決定者たちは2018年から選挙に注力する可能性が高い。
 2018年に入り、トルコはシリアのアフリンに介入し、軍事作戦を展開している。この難局をどのように乗り切るか、トルコ政府の現実主義的な対応に注目したい。


※本稿は、「第5章 ポスト『イスラーム国』時代のトルコの外交」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。