コラム

『Global Risk Research Report』No. 6

「移民国」ドイツにおける反イスラームの問題

2018-06-01
石川 真作(東北学院大学准教授)
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1.欧州難民危機への対応と「移民国」ドイツ
 2017年9月に行われたドイツ連邦議会選挙では、与党「キリスト教民主同盟(CDU)」が第1党となり、アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相の4選が決まった。しかし、CDUは、「大連立」のパートナーであった「社会民主党(SPD)」とともに大幅に議席を減らし、代わって台頭したのは、反移民・難民、反イスラーム、反EUの立場を前面に出した新興極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」であった。AfDは、12.6パーセントの得票率で94議席を獲得する「予想外」の大健闘を見せた。
 この総選挙でメルケルと与党への支持がある程度回復した背景には、2016年初頭のトルコとの協定に始まった事実上の難民政策厳格化があるということは、多くのメディアが指摘するところである。そして、総選挙後の10月にCDUは、難民の年間受け入れ人数に上限を設ける方針を明らかにした。これは、メルケル首相がぶち上げた寛容な難民受け入れ政策の事実上の撤回を意味すると見ることができる。こうした流れの背景として、2015年大晦日のケルンでの騒乱や、2016年末にベルリンのクリスマス・マーケットをターゲットにしたテロ行為の影響により、難民の受け入れに懐疑的な世論の勢いが増したことが指摘できる。ここには、難民の存在とイスラーム過激派によるテロリズム、さらにはイスラームの「文化」を結びつけて論ずる一般的な傾向を指摘できるだろう。

2.反イスラームとその対策
 ドイツには、約400万人のイスラーム教徒が居住しているとされる。第2次世界大戦後の西欧諸国は、戦後復興にともなう好景気を迎える一方、深刻な労働力不足に見舞われていた。とりわけ国土の荒廃が激しく、かつ植民地も失っていたドイツは、協定により周辺諸国から労働力の供給を仰ぐという選択をした。そして、ドイツに最も多くの労働者を送り込んだのは、国民の99パーセントをイスラーム教徒が占めるトルコ共和国であった。ドイツ在住のイスラーム教徒の多くをこのトルコ系移民が占めている。
AfDの主要な主張として、反EUや反グローバリズムとともに、反イスラームがあげられる。また、AfDとともに近年台頭した右派市民運動「西洋のイスラーム化に反対する欧州愛国者(PEGIDA)」は、その明確な反イスラーム姿勢で知られる。こうしたいわゆるイスラモフォビア(イスラーム恐怖症)は、ヨーロッパの移民問題の背後に流れる通奏低音のようでもある。さらに近年では、イスラーム過激派のテロリズムがヨーロッパにも波及し、そのこととムスリム移民の増加とが結びつけられることでその傾向に拍車がかかっているようにもみえる。今般のドイツの総選挙でAfDが躍進した背景には、イスラーム教徒が多くを占める難民の増加と、その間に引き起こされたテロ行為などの影響があることは間違いないだろう。
 こうした状況に対して、イスラームをドイツ社会の一部として位置付ける模索も続けられている。2006年の9月には、最初の公式な「ドイツ・イスラーム会議」が開催され、以後継続してこの問題を討議する枠組みとなっている。この会議にはトルコ系とそれ以外を含む、ドイツにおけるイスラーム団体の多くと関係する政治家などが参加し、ドイツにおけるイスラーム教徒の状況やイスラモフォビアについてなど、様々なプロジェクトを展開してきている。この会議を足場として最終的に目指されているのは、ドイツの公的な宗教コミュニティとしてのイスラームの承認であろう。しかし、ドイツ国内のイスラーム団体を代表する統一団体構成の見通しが立たないことや、イスラーム過激派の活動など国際的な情勢が安定しないことなどでいまだ実現する見込みが立っていない1。もうひとつの課題である公立学校におけるイスラーム宗教教育は、州ごとに実験的な形で行われている。しかしこちらもイスラームが公的な宗教コミュニティになることが、最終的な公式化の条件と考えられている2
 
3.「多様性の文化」へ
 近年ドイツでは、「歓迎する文化(Willkommenskultur)」という言葉が使われるようになった3。この用語は、多様性を受け入れる新しいドイツを象徴するものとして市民社会と公的部門双方で用いられ、さらには、連邦移民難民庁によって事実上の公式の標語として採用されてもいる4。そして、難民危機においては難民受け入れを推進する人々の合言葉ともなった。
 戦後のドイツ社会では、ナチス・ドイツの負の遺産を忘れないための「記憶の文化(Erinnerungskultur)」の構築に向けた取り組みがなされてきた5。「歓迎する文化」はその次の段階としての、新しいドイツの社会文化の構築に向けた試みとして位置付けられるかもしれない。だとすると、それらはいずれもドイツ・ナショナリズムの基盤をなすドイツの「民族文化」に替わる、市民社会を基礎とした広汎な文化の構築に向けた試みと理解することが可能であろう。その背後には、移民の存在が照らし出した戦後ドイツの社会変化とそれに呼応した制度的変革が、血統主義的な「文化ネーション」の理念と現実の矛盾をあぶり出し、その矛盾が未解決のままであるという事実がある。
 また、「記憶の文化」によって想起されることは、19世紀に成立したドイツの市民社会が抱えていた「ユダヤ問題」も、同様の矛盾をあぶり出していたのではないかということである。大野はその「ユダヤ問題」をめぐり、19世紀末の大不況のなかで反ユダヤ主義的言説が拡大していったと指摘している6。AfDの台頭にいたる近年の状況が、そうした歴史の繰り返しに結びつくと考えるのは短絡的すぎるだろうが、構造的な類似に気を配っておく必要はあるかもしれない。
 反イスラーム的な言説が取り沙汰される際に見過ごされがちなのは、一般のイスラーム教徒移民のほとんどがドイツの法秩序や社会常識の枠内で生活しているというあたりまえの事実である。ここには文化の問題と安全保障の問題の混同があるとともに、文化という概念の(もしかしたら意図的な)誤用という現代世界に共通の問題がある。文化とは人間の活動すべてを包含する生活様式の特徴を指すのであり、本来ひとつの社会に複数の文化が併存することはありえない。信教の自由が保障された社会において、複数の宗教を信じる人々が存在するなら、そのことそのものがその社会の文化として、すなわち「多様性の文化」として理解されるべきである。「文化」を分断の論理として用いるのは、極右にもイスラーム原理主義にも共通するやり方であり、その先には多文化主義の隘路という罠が待っている。「記憶の文化」あるいは「歓迎する文化」は、この罠から抜け出すための模索であるのだろうか。


※本稿は、「第 11 章 「移民国」ドイツにおける反イスラームと文化の問題」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。



1 http://www.deutsche-islam-konferenz.de/DIK/DE/DIK/1UeberDIK/ueberdik-node.html(2018年1月12日最終閲覧)
2
http://www.deutsche-islam-konferenz.de/DIK/DE/DIK/StandpunkteErgebnisse/UnterrichtSchule/unterrichtschule-node.html(2018年1月12日最終閲覧)
3 F. Trauner and J. Turton, “ ‘Welcome Culture’: The Emergence and Transformation of a Public Debate on Migration,” OZP – Austrian Journal of Political Science, vol. 46, issue 1, (2017), pp. 33-44.
4 Bundesamt für Migration und Flüchtlinge (BAMF), Willkommens- und Anerkennungskultur Handlungsempfehlungen und Praxisbeispiele Abschlussbericht Runder Tisch “Aufnahmegesellschaft”, (BAMF, 2013).
5 岡裕人『忘却に抵抗するドイツ―歴史教育から「記憶の文化」へ―』(大月書店、2012年)。
6 大野英二『ドイツ問題と民族問題』(未来社、1994年)188-193頁。