コラム

『Global Risk Research Report』No.10

「石油ピーク」時代の石油依存

2018-06-26
小林 良和 (日本エネルギー経済研究所化石エネルギー・電力ユニットガスグループマネージャー研究主幹)
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 「石油ピーク」という言葉が再びメディアを賑わせるようになっている。シェル(Shell)やトタル(Total)といったいわゆる石油メジャーの首脳ですらも、早ければ2020年代後半から2030年代にも世界の石油需要が減少に向かう可能性を示唆しており、最近の再生可能エネルギーの導入とも相まって、近い将来にも石油を全く使わなくてもよいような社会が到来するという議論すら散見される。
 実際のところ、「石油ピーク」という言葉自体は決して新しいものではない。しかし、もともと石油ピーク論とは、地球上の石油資源は有限であり、いずれその生産はピークを迎え枯渇に向かうとしていたのに対し、最近の石油ピーク議論は、石油の需要サイドにおいてピークが発生する可能性に注目している点で、従来の石油ピーク論とは全く異なる文脈で語られている。
 こうした新しい石油ピーク論の広がりに大きく寄与しているのが、いうまでも電気自動車、プラグインハイブリッド車などの新型自動車の普及である1。欧州では、ノルウェー政府とオランダ政府が2025年からガソリン・軽油車の販売を禁止、イギリス政府やフランス政府も2040年までに従来型の自動車の販売を禁止するという政策を発表している。中国においても、2019年から国内で自動車を生産する企業に対し一定比率の新エネルギー車(電気自動車、プラグインハイブリッド車、燃料電池自動車)の生産を義務付け、将来的には欧州各国と同様の政策を検討中であると報じられている。こうした政府の動きに対し、自動車産業の方も積極的に対応している。例えばスウェーデンのボルボは2019年以降、同社で生産する自動車を全て電動化することを決定しており、日産やフォルクスワーゲンもそれぞれ2022年、2025年までに自社の生産台数の25%、30%を電気自動車とする計画を発表している。「石器時代は地球上から石がなくなったために終わったわけではない。それと同様に石油の時代が終わるのも人類が石油を使わなくなった時に訪れる」とはサウジアラビアのヤマニ元石油鉱物資源相による有名な言葉であるが、まさにそうした需要側の要因による石油ピークの到来がますます現実味を持った形で語られるようになってきている。
 こうした需要サイドの要因による石油ピークは本当に2020年代にも(あと10年以内にでも)起きるのだろうか。仮に実現するとして、そのような石油を必要としなくなった世界にとって、中東地域の重要性は格段に低くなってしまうのだろうか。その答えは「否」である。
 まず巷間よく語られる石油ピーク論には、「電気自動車の導入が急速に進めば」や「バイオ燃料による代替が相当程度進めば」などといった多くの前提がつけられていることが多い。前出の石油メジャー首脳による発言も、そうした前提がついたものなのだが、メディアによる報道では、そうした前提条件についてふれられることは少ない。石油需要の見通しは、その前提条件によって大きく左右される。従って、石油ピーク論が語られる場合、その前提となっている条件が本当に現実的なものかどうかを吟味する必要がある。
 この点について、日本エネルギー経済研究所は2017年10月、今後の石油需要ピークが到来するシナリオの見通しを発表した。その見通しによれば、2030年時点で新車販売台数の33%、2040年時点で同じく50%、2050年時点で新車販売台数の全てが新型自動車になるとの前提を置くと、世界の石油需要は、2015年の9,000万b/dから2030年に9,800万b/dにまで増加したところでピークを迎え、2050年には8,900万b/dにまで減少することになる。ただ、上記の前提は世界で販売される全ての新車販売台数に適用されるものであること、少なくとも2020年時点での前提については、各国・各企業が発表する新型自動車政策から見ても実現は不可能であることを考えると、その実現性はかなり疑わしい。またそれよりも重要なのは、仮にこうした相当程度野心的な前提を置いたとしても、少なくとも2030年までは世界の石油需要は増加し続けること、また2050年時点においても、世界は現在とほぼ同水準の石油供給を必要とするという点である。
 なぜそれほどの新型自動車の導入が進んでも世界は石油を使い続けるのか。一つには、電気自動車などによって削減される石油需要は全体の一部にしか過ぎないという点が挙げられる。新型自動車の導入によって削減される石油需要、すなわち自動車によって消費されるガソリンや軽油の需要が全体に占めるシェアは半分にも満たない。石油は、産業、商業、家庭用の燃料や石油化学製品の原料として、そして一部の国や地域においては、発電用の燃料としても用いられるなど、その用途は多岐にわたる。輸送用の燃料に限ってみても、自動車だけではなく航空機や船舶においても燃料として使われている。自動車による石油消費が減っても、それ以外の分野での石油需要は増え続けるので、全体の石油需要へのインパクトは限られたものとなってしまう。また、新車販売台数と実際の路上を走行する自動車の台数とは異なるという点も忘れてはならない。仮にすべての自動車販売台数が電気自動車になったとしても、路上を走行する車がすべて電気自動車に入れ代わるには少なくとも10年を要する。それまでは、依然として従来型の自動車が販売され、その自動車は石油を利用し続けるのである。
 石油需要のピークは、現時点で想定される水準をはるかに上回るペースで新型自動車が普及したとしても、最も早くて2030年以降にしか訪れず、また仮に起きたとしても、少なくともあと30年間は現在と同様の水準の石油供給がなされなければならない。ここまでくれば、世界の石油供給、なかんずく厖大な埋蔵量を有し、また低コストでの生産が可能な中東産油国の重要性は、今後も何ら変わることがないということがわかる。
 もちろん、エネルギーセキュリティや気候変動対策の観点から、電気自動車をはじめとする新型自動車の導入を進めていくことは重要である。しかし、近い将来(例えば2020年代)にも石油を使わなくてもよい時代が到来するという議論には、現実的・合理的な根拠はない。むしろ、そうした脱石油社会がすぐにでも到来するという認識(パーセプション)が拡大することで、石油供給能力への持続的な投資や中東地域における安定的な石油供給への世界的な関心が低下することが懸念される。新型自動車の導入を進めながらも、実際には世界は当面の間、石油に依存し続けなければならないことを忘れず、石油供給能力への投資の継続や中東地域の政治的安定性を確保するために、日本として出来ることを今後も着実に進めていかなければならない。


 
1 ここでは、電気自動車、プラグインハイブリッド車、燃料電池車の3つを総称して新型自動車という言葉を用いる。


※本稿は、「第7章 グローバルリスクとしての中東エネルギー情勢」平成29年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2018年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。