コラム

『Global Risk Research Report』No. 19
過激化という問いの立て方について――カナダ・ケベック州においてイスラームへの帰属意識が警戒される過程――

2019-04-03
浪岡 新太郎(明治学院大学教授)
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 ムスリムはカナダで市民(国民・州民)1になれるのだろうか。カナダにおけるムスリムの多くは移民の出自を持つ2。2011年国勢調査によれば、カナダ国民約3600万人の67.3パーセントがキリスト教徒、23.9パーセントが無宗教、3.2パーセントがムスリムである。ケベック州に限れば、州人口は約790万人で、その内の約25万人がムスリムである。ケベック州のムスリムの特徴として、2000年代以降にその人口が3倍以上に増加していることが挙げられる。かれらは政治の世俗性や男女平等を認めないのではないか、かれらは過激化し、テロリストになる怖れが高いのではないか。ムスリムはこうした問いの対象となっている。
 この問いは国民の権利や義務の前提となる国民としての帰属意識の有無を問うている3。しかし、問いは移民や難民として国籍を申請するムスリムにのみ向けられるわけではない。主として問われているのは、むしろ、カナダ国籍を持つムスリムである。国民に対する「国民になれるのだろうか」という問いは、実際の国籍取得者がどのような国民としての帰属意識を持っているのかを問うのではない。この問いは、実際というよりは、何らかの規範的な基準を前提とした国民としての帰属意識から「国籍取得者」をつくり直そうとしている。そしてムスリムに対するこのような問いは、カナダに限られず、欧州や北米に広く見られる。
 では、イスラームへの帰属と衝突するような規範的な、あるべき国民としての帰属意識とはどのようなものだろうか。この点で、二点に注意する必要がある。第一に、あるべき国民としての帰属意識は、1980年代末以降になって欧州や北米でイスラームへの帰属意識と対立するものとしてメディアや政治の場で活発に論じられるようになっているという点である。それ以前には、欧州や北米にムスリム・マイノリティが存在しなかったわけではない。つまり、ムスリム・マイノリティは常にその存在が問題とされていたのではなく、事後的に、国民としての帰属意識の構築のために利用されている。そうだとすれば、問うべきは、「イスラームへの帰属意識のどこが国民の帰属意識と対立するのか」ではなく、「どのように、対立するものとしてイスラームへの帰属意識が論じられるようになったのか」だろう。第二は、イスラームへの帰属意識と対立する特定の国民に固有の帰属意識のあり方をめぐる議論は、実際には、その固有性を超えて、欧州や北米で幅広く確認できる点である。つまり、問われているのは各国固有の基本原則や帰属意識ではない。むしろ、欧州や北米に共通する、国民の様々な宗教・宗派の主張を調整する基本的原則としての「個人の宗教の自由」と「国家の中立性」の保障だろう。
 カナダで、「個人の宗教の自由」と「国家の中立性」はどのように制度的に具体化されているのだろうか。連邦制のカナダは、英語とフランス語の二言語制(1867年)を基礎として多文化主義に基づく。ただし、ケベック州は101号法(1977年)に基づき、フランス語のみを公用語とする単一言語主義をとる。とはいえ、ケベック州が多様性を認めないわけではない。良心及び宗教の自由を認め、宗教的帰属を理由とした差別を禁じている(「人の権利及び自由のケベック憲章」1975年)。このケベック州の市民のあり方をめぐる政策は「間文化主義(interculturalism)」と呼ばれる。宗教学者の伊達聖伸は、これを多様な宗教・文化集団の集団的権利を承認する多文化主義と、宗教・文化的要求を個人の要求として私的領域でのみ承認し、集団的権利を認めないフランス流共和主義の間に位置付けている4。つまり、「個人の宗教の自由」のために、国家は集団的権利を保障しないまでも、個別の事例において調整的機能を果たすのである。具体的には「妥当な調整(accomodement rasionnable)」などの概念をあげることができる。公的機関における宗教的標章の着用など、この概念は、個人の信仰の自由のために公的規則を個別のケースにおいて変更を認める法概念である。
 ケベック州では、特に2006年から、「妥当な調整」のもとに宗教的標章の着用など、ムスリム・マイノリティの「個人の宗教の自由」が過剰に許容され、州民としての帰属意識を失わせているのではないか、という意見が目立つようになる。この意見を強く主張したのは、ケベック党(ナショナリスト:与党1994-2003年及び2012-2014年)である。対立政党のケベック自由党(中道左派:与党2003-2012年及び2014-2018年)は、イスラームへの帰属と対立するものとして、国民・州民としての帰属意識をつくり出そうとする、ケベック党の傾向に批判的であった。しかし、ホームグロウン・テロを生み出す過程(過激化)への政策的関心の増大とともに、ケベック自由党もその傾向を引き継いだ。
 2015年3月にケベック州モントリオール市は、州政府の支援の下、「暴力に至るような過激化予防センター」を設立する。このセンターによれば、過激化とは「人々が極端な信念の体系を取り込む過程」を意味する5。この定義に従えば、過激化とは人が価値を内面化していくという意味での「社会化」の問題である。だからこそ、家庭、友人関係、学校が過激化の進行する場所であると同時に過激化を防ぐ場所として注目される6。2015年6月、ケベック自由党を与党とする州政府はこのセンターを主要な組織と位置づけ、ソーシャルワーカー、教師、病院関係者、カウンセラーそして警察の相互交流、協力関係をより緊密化した7
 この方針に沿ってケベック州で二つの法律が成立した。まず、2016年6月に59号法「身上保護を強化するための法律修正のための法律」が成立した8。この法律は過激化を社会化の過程と認識し、特に「名誉をめぐる犯罪」や強制婚の予防に言及し、若者たちがその家族や周囲の「過剰な管理」にある際に保護すること、生徒の身体的精神的安定性が脅かされているとみられる際に教育機関が調査することを認めた。次に、2017年10月に62号法「国家の宗教的中立性を促し、いくつかの機関において宗教的な理由による調整の要求を特に規定する法律」が成立した。62号法は公立図書館、公共交通機関、公立病院で公共サービスを受ける際、提供者と受益者の双方に顔を覆うようなスカーフなどを着用することを禁じた。こうした法律はどれもイスラームへの帰属意識の実際の多様性を考慮していないために、ムスリム・マイノリティ全般を過激化する主体として警戒しがちである。そのために、結果的として、かれらに対する差別を促す傾向にある。そして59号法、62号法は、ともに国家が特定の宗教・宗派を警戒することを可能にする法律という点で、「国家の中立性」を侵している。
 では過激化についてどのように取り組むべきなのだろうか。これまでの過激化の研究は、①個人が過激派のイデオロギーに惹かれ、暴力行為に参加していく過程についての研究と、②「過激な思想を身につけテロ行為に参加する」という意味での「過激化」とイスラームの因果関係についての研究に分けることができる。①に関しては、個別のホームグロウン・テロリストの事例を集めて一般的特徴を抽出することが課題となる。しかし、集積した事例からは、ホームグロウン・テロリストが社会階層的にもジェンダー的にも、さらには出自においても多様であることが確認でき、一般的特徴を限定することが困難である。②についてはイスラームのどのような解釈が過激化につながるのかを明らかにすることが課題となる。しかし、そもそも過激化した当事者の過程についての資料の獲得は困難であり、さらに、解釈と行為の一般的な因果関係を明らかにすることも困難である。
 過激化対策に取り組む際には、こうした一般的特徴や因果関係の特定の困難を考慮し、さらに、イスラームへの帰属に注目した過激化という問題設定自体がなぜ、どのように行われるのかに注目する必要がある。この点で、社会学者ヴァレリー・アミロー(Valérie Amiraux)が主張するように、帰属意識をめぐる具体的な場での相互作用をエスノグラフィーによって叙述することが重要である9。つまり、イスラームの教義の中に国家・州の基本原則と対立する解釈や行為の可能性を探すのではなく、ミクロな日常の相互作用の中で、「調整された妥協の過剰解釈」や「過激化」という概念のもとで、マジョリティがどのようにムスリム・マイノリティとの関係で自分の帰属意識を排他的に構築し、マイノリティはどのようにそれに対抗するのかに注目することである。ある時期の公的機関における宗教的標章の着用をめぐるやりとりなど、具体的状況の多様性に注目することで、特定の宗教・宗派を一面的に把握することを避けることができる。つまり、国家が特定の宗教・宗派を警戒することで「国家の中立性」を侵すことを避けることができる。その上で、より一般的に、どのような時期に、どのような状況で宗教的属性をめぐって対立関係が生じるのか仕組みを理解することができるだろう。
(2019年3月19日脱稿)


1 本稿で「市民」とは政治共同体のメンバーを意味する。本稿では、特にケベック州民を対象とする。
2 https://observatoire-espace-societe.com/espace-et-societe/societe/les-musulmans-du-canada-realites-enjeux-et-perspectives/ 2019年1月15日アクセス。
3 この点について岡野八代『シチズンシップの政治学』(白澤社、2003年), 41-49頁。
4 伊達聖伸「ケベックにおける間文化主義的なライシテ(上)」『思想』1110号(2016年10月), 6-28頁。
5 https://info-radical.org/fr/radicalisation/definition/ 2019年1月14日アクセス。
6 https://info-radical.org/wp-content/uploads/2016/07/SOMMAIRE_RAPPORT_CPRMV.pdf 2019年1月14日アクセス。
7 http://www.midi.gouv.qc.ca/publications/fr/dossiers/PLN_Radicalisation-synthese.pdf 2019年1月15日アクセス。
8 http://www.amalquebec.org/2015/08/17/projet-de-loi-59/ 2019年1月15日アクセス。
9 Valérie Amiraux and J. Araya-Moreno"Plurarism and radicalization : Mind the Gap!" in Paul Bramadat et Lorne Dawson (dir.), Religious Radicalization and Securitization in Canada and Beyond.  (Toronto: University of Toronto Press,2014), pp.92-120.

※本稿は、平成30年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2019年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。