コラム

『Global Risk Research Report』No. 22
イランのシリア内戦関与の理由と成果―国境外に広がる抑止戦略と拡大するシーア派民兵ネットワーク

2019-04-04
貫井 万里(日本国際問題研究所研究員)
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はじめに
 2011年にシリア内戦が開始した直後から、イランは「シリア政府の正式な要請」に基づいてイスラーム革命防衛隊(IRGC)の軍事顧問や志願兵の派遣に踏み切り、多大な軍事的・経済的な支援を行ってきた。国内外の批判、特にトランプ政権による再制裁の圧力にもかかわらず、なぜイランは、多くの犠牲を払いながらも、アサド政権を支援し、シリア内戦に関与し続けてきたのか。本稿では、イランのシリア内戦関与の理由と軍事的・経済的支援の実態、その成果としてのシーア派民兵ネットワークについて概観する。
 
1. シリア内戦関与の理由
 イランは、1979年の革命後、①イスラエル及びアメリカへの敵対、②パレスチナ支持、③イラクやレバノンでの政策、④ロシアとの友好関係において共通の利害を持つシリアと戦略的な同盟関係を築いてきた。1980-88年のイラン・イラク戦争中、大半のアラブ諸国がイラク支持に回る中、イラクのバース党政権と対立していたシリアは、イラン支持の姿勢を堅持し、イランからレバノンのシーア派民兵組織ヒズブッラーへの補給ルートを提供し、時にはヒズブッラーとイラン双方へ武器供給者の役割を果たした。
 イラン・イラク戦争中、アメリカの経済制裁の対象となっていたイランは、通常兵器の入手に苦労し、シリア、リビア、中国、北朝鮮等から秘密裏に輸入した兵器や軍事技術を利用して独自の兵器開発に努力する一方で、非対称戦力の開発に傾注した。その大きな柱となっているのが、反米・反イスラエルのイデオロギーを掲げる民兵組織を利用した抑止戦略である。イランの抑止策の核となるのが、イスラエルと国境を隔てて対峙するヒズブッラーへのシリア経由の補給ルートの確保である。
 2002年にジョージ・W・ブッシュ米大統領から「悪の枢軸」と名指しされ、アメリカによる政権転覆の危機に直面したイランは、シリアとヒズブッラーとともに「抵抗戦線」を形成し、アメリカ及びイスラエルによる攻撃に備えて情報共有や軍事協力を強化した。イランは「抵抗戦線」の中核をなすシリアのアサド政権崩壊と、同地でのスンナ派ジハーディストや敵対国の勢力伸長を自国への実存的脅威と認識し、シリア内戦に介入を決断したと考えられる。
 アリー・ハーメネイー最高指導者をはじめとするイラン体制エリートの間で共有される「イラン本土を防衛するためには、イラクやシリアなど国境から離れた場所で未然に防止せねばならない」という考えは、2011年のアラブ民衆蜂起を機に、既存の地域秩序が崩壊し、域内大国の間で覇権を巡る熾烈な戦いが開始したことにより、その戦いに勝ち抜き、自国に有利な新地域秩序を形成せねば、イスラーム体制の存続が脅かされるという現状認識に基づいていると考えられる。イランによるシリア内戦への関与は、安全保障戦略に加え、シリア、イラクにある「シーア派聖廟の保護」という宗教的イデオロギーで正当化され、国内外のシーア派教徒動員に利用されてきた。
 また、イラン国内、特に改革派や穏健派の中には、IRGCのシリア内戦関与に対する強い批判がある。国民の支持と核合意の成功を梃子に、IRGCの政治・経済活動の縮小を試みてきたハサン・ロウハーニー大統領は、「IRGCによるシリアへのミサイル攻撃が、アメリカによる新たな制裁を招き、その経済活動が民営化を阻害している」と激しく批判してきた。これに対し、IRGCは、国外の作戦で勝利することで、国内の政治的立場を強化し、改革派・現実派によるIRGCの権益縮小や対外融和策の試みを牽制し、国内の対外戦争介入策への反対の声を抑制しようという思惑もあるとみられる。

2. シリア内戦におけるイランの役割
(1) 軍事的支援
 イラン政府は、軍事顧問やイラン人志願兵の数が数千人以上の規模に増加した2016年の段階でも、アサド政権に軍事的な助言をしているのみとの公式見解を繰り返していた。しかし、実際には2011年夏頃から、IRGCは、アサド政権に民衆抗議への対処の方法を助言していたゴッズ軍を中心とするIRGC指揮官に加え、イラン人バスィージや、戦闘経験の豊富なレバノンのヒズブッラーやイラク人民兵などを「シーア派聖廟保護」のために動員、派遣し始めた。2014年にイラクで「イスラーム国(IS)」が支配圏を急速に拡大させたために、IRGCはシリアで戦っていたイラクのシーア派民兵をイラクに帰還させてバグダードを防衛させねばならず、深刻な兵員不足に直面した。そこで、IRGCは、シリア政府軍の消耗を緩和するためにアフガン人やパキスタン人を含む数千人の外国人シーア派民兵を新たに動員した。
 2015年9月のロシアの介入以後、イランはロシア、シリア政府軍と連携して地上戦を進めた。この時期に多数のイラン人将兵が死傷している事実から、IRGC隊員は単なる軍事的助言に留まらず、陣頭で指揮に立って民兵を率い、いくつかのIRGC陸軍部隊はそのまま地上戦に投入された可能性が高い。イラン統合参謀本部は、2015年秋から2016年にかけて、アレッポ奪還作戦のためにシリアへの派兵を拡大させ、精鋭部隊だけではなく、IRGC陸軍兵士をできるだけ多く前線に送り、戦闘体験を積ませる方向に政策転換した。シリアに派遣されたイラン人兵士の総数は、志願兵、IRGC軍事顧問、陸軍等を含めて7千~1万人に上るとの報告もある。イランから派遣された軍隊は、IRGC陸軍が主軸であったが、バスィージの他に、イラン・イラク戦争以来、初めてイラン国軍が国外での戦闘に派遣された。また、アレッポ攻略には、IRGCの保有する無人機が初めて国外で攻撃のために使用された。

(2) 経済的支援
 シリア内戦が開始した当時、イランは経済制裁下にあったにもかかわらず、シリアへの経済支援を継続した。国連によれば、イランのシリア支援費用は年間平均60億ドルと見積もられている。こうした身を削る援助の代わりに、イランは、電気設備、電線修理、発電所、携帯電話ネットワークなど戦後のインフラ整備において、イラン企業に優先的な利権の供与をアサド政権に求めている。その結果、シリア全土の発電所の修繕、ラタキアでの4.6億ドル相当の540メガワット級の発電所建設、タルトゥース港とラタキア港の修繕等の事業を、イラン企業が受注したと報道されている。
 イラン側の期待とは裏腹に、対イラン制裁やシリア側の警戒から、イランのシリア市場進出は停滞している。4千億ドルを要するとされるシリア復興のために、アサド政権は、湾岸諸国、イラン、ロシアを互いに競わせて、できるだけ良い条件で投資や援助を引き出そうとしている。こうしたシリア復興ビジネスを巡る各国の駆け引きに対し、アメリカ政府は、「イラン軍とその同盟者がシリアから追放されない限り、アメリカは決してシリア再建の支援をしない」と宣言しており、アサド政権は難しい選択を迫られている。

3. 国際的な民兵ネットワークの形成
(1) シリア国民防衛隊
 2011年3月の民衆蜂起後に、スンナ派将兵多数の離反や死傷によって、シリア国軍は内戦前の約30万人から半減した。戦闘員を補充するために、アサド政権は、2012年にシリア国民防衛隊(NDF)を設立した。同隊の推定人数は10万人前後とされ、メンバーの資格を認められた兵士は、基礎的な訓練を受けた後、支給された制服と軽火器、無線機を装備し、検問所や居住区近辺の警備を担当する。NDFはアラウィー派やシーア派のみならず、アサド政権を支持するスンナ派、キリスト教徒、ドルーズ教徒など多宗派から構成されている。このNDFの動員、組織化、訓練にイランのIRGCが主導的な役割を果たし、レバノンのヒズブッラーもシリア国内の基地でNDFの新兵の訓練にあたった。
 アサド政権はNDFを軍事面だけではなく、人々を政権支持につなぎ留め、正当性を確保するために有用であると考えていた。NDFに参加すれば、徴兵を免除され、地元でパートタイムの形で仕事ができ、給料が支払われるため、次第にNDFは国軍より人気の就職先と若者たちの間で認識されるようになった。これらのNDFはシリアの治安組織の傘下に統合されているが、個々の地元の組織には一定の独立と裁量権が付与された。
 NDFを巡って大きな問題となっているのが、内戦後の地位に関する問題である。アサド政権とロシアが、NDFの一部を国軍の師団として吸収し、残りを解体したい意向であるのに対し、IRGCやヒズブッラーはNDFを維持し、そのシンパを通したシリアへの影響力の保持を画策しているとされる。

(2) シーア派民兵組織
 レバノンのヒズブッラーは、2011年秋以降、6~8千人の兵士をシリア内戦に派遣したとされ、一時は、風前の灯であったアサド政権軍の立て直しに主要な役割を果たした。ヒズブッラーのアサド政権への支援は、軍事的助言、シリア人兵士の訓練と後方支援にとどまっていたが、2013年からシリア国軍や民兵とともに、戦闘に直接加わるようになり、1,400人に上る犠牲者を出したとされる。
 イラクからは、2012年以降、4~5千人のシーア派民兵がシリア内戦に参加したとされる。彼らは、ヒズブッラーとともに2012年の秋に創設されたアブー・ファドゥル・アッバース旅団に加入し、イラク難民の居住地区があるセイエド・ゼイナブ廟近辺に主に展開した。当初、500名程度であった同旅団の兵士数が急増したため、2013年6月に、イラク人民兵中心のズールフィカール旅団と、イラクのサドル派民兵中心のイマーム・フセイン旅団が立ち上げられ、ダマスカス近辺での軍事活動を担った。
 ISの領域拡大に伴い、戦闘員不足に直面したIRGCは、イラン国内の貧しいアフガン難民を給料、居住許可、住居の提供などと引き換えに多数リクルートし、2013年にアリー・レザー・タヴァッソリーをリーダーとするファーテミユーン旅団を設立した。兵員数が増加したために師団に昇格したファーテミユーンの兵士たちは、ハーメネイー最高指導者に忠誠を誓い、イラン・イスラーム共和国とイデオロギーで固く結びついているとされる。当初、同師団の民兵はIRGCやヒズブッラーの指揮下で戦闘に従事していたが、戦闘経験を積むにつれ、アフガン人指揮官の判断に任され、部隊ごとにある程度自律的に戦闘行為を行うようになった。
 ファーテミユーン師団の兵士約2千名が戦死し、7~8千名が負傷したと推定され、派兵された兵員数は1万人から2万人と見積もられている。家族のためにシリア行きを志願し、死亡したアフガニスタン人に報いるために、イラン国会は、シリアに派遣され、殺害されたアフガン難民の家族にイラン国籍を付与する法案を2016年に可決した。2017年にイランの殉教者財団も、シリアでイスラーム共和国のために死んだ外国人兵士の家族にも福祉を提供すると発表している。
 パキスタン人のシーア派民兵組織の「ゼイナビユーン旅団」は、2014年に設立された。その推定兵員数は5千人で、アフガニスタンとの国境沿いに位置するパキスタン北部のパラーチナールとその近郊の村出身で、イランやUAEに移住した者を中心に構成され、彼らはマシュハドのIRGC基地で訓練を受けた後にシリアに派遣されている。戦闘経験の浅いゼイナビユーン旅団は、シリアの戦場ではIRGCかヒズブッラーの指揮下で戦闘に従事した。

おわりに―イランにとってのシリア内戦と今後の展望
 イランにとって、シリア内戦への関与は、当初、「抵抗線戦」の中核を担うアサド政権を維持することによって、①シリアに敵対的な体制の樹立を阻止し、②イスラエルに対する抑止のためにヒズブッラーへの補給ルートを確保するという「防衛」が主要な目的であった。しかし、シリアの反体制派、IS、ヌスラ戦線等の非政府主体と非対称戦を7年にわたって戦い続ける中で、兵士や物資の継続的な補給の必要性や、ISによるイラクとシリアにまたがる領域拡大や高度な宣伝戦略、有志国連合の政策の変化などに応じて、複数の敵と同時並行に複合的(ハイブリッド)な戦術で応戦する必要に迫られた。そのため、多様な出自や言語の民兵を広範に動員して訓練し、戦況に合わせて迅速、かつ継続的にイラクやシリアに部隊を配置し、正規兵と民兵双方の実戦経験や能力の向上を図った。その結果、イラン統合参謀本部は、即応力と市街戦に優れたシーア派軍事ネットワークを用いた統合的な戦略を編み出し、戦力投射能力を飛躍的に高めることに成功した。
 シリア、アフガニスタン、パキスタンの民兵リーダーの一部は、シリア内戦後もIRGCと連携して世界中で戦う意思を示している。IRGC司令官の中には、帰国後のシーア派民兵を各地の代理勢力としてイラン・イスラーム体制に有利な形で活用し、中東での勢力を拡大させようとする意図を明言する者もいる。シリア内戦を通したIRGCによるシーア派民兵の動員・組織化は、ある意味、各国で迫害されているシーア派マイノリティーの「エンパワーメント」につながった側面がある。しかし、それがさらにスンナ派諸国やイスラエルに脅威を抱かせ、宗派対立をエスカレートさせる危険性を孕んでいる。
 また、IRGCは、内戦後に向けてシリアに軍事拠点を建設、恒久化させ、対イスラエル・対米の抑止機能の強化を企図しているとみられる。こうした動きを懸念するイスラエルは、2017年以降シリア国内にあるイランの軍事拠点を標的にした越境ミサイル攻撃を繰り返しており、シリアを舞台にしたイランとイスラエルの直接対決が中東の新たな火種となっている。
 イランの軍事活動は「侵略的意図」というよりも一貫して「防衛的目的」を動機としてきたと考えられるが、危機をチャンスに変えてその影響力を「拡張」させてきたことが、イランに対する脅威認識を高める結果になっている。今回のシリア内戦での「成功」は、イラン統合参謀本部やIRGCをさらに大胆な対外政策に駆り立てる可能性がある。イラン核合意から離脱し、シリアやアフガニスタンからの米軍撤退を模索するトランプ政権の中東政策は、国際協調を重視して、核合意を推進してきたイランの穏健派を弱体化させ、むしろ、欧米に敵対的なIRGCを中心とする強硬保守派を強化しているようにみえる。

(2019年3月30日脱稿)

※本稿は、平成30年度外務省外交・安全保障調査研究事業報告書『反グローバリズム再考――国際経済秩序を揺るがす危機要因の研究 グローバルリスク研究』(日本国際問題研究所、2019年)の要旨となります。詳しくは、報告書の本文をご参照下さい。