コラム

大中東圏構想の虚像と実像

2004-06-15
松本 弘(主任研究員)
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2004年6月9日、G8シーアイランド・サミットは、「拡大中東・北アフリカ地域の進歩と共通の未来のためのパートナーシップ」と題する声明と、そのための改革支援計画を発表した。
2004年6月9日、G8シーアイランド・サミットは、「拡大中東・北アフリカ地域の進歩と共通の未来のためのパートナーシップPartnership for Progress and a Common Future with the Region of the Broader Middle East and North Africa」と題する声明と、そのための改革支援計画を発表した。タイトルが長いので、ここではこれを「大中東圏構想」と呼ぶが、この問題に関わる呼称には混乱が見られるため、内容に入る前にこれまでの経緯に簡単に触れておきたい。

サミットに先立つ2月13日、ロンドン発行のアラビア語紙アルハヤートは、米国がサミットにおいて、一般に中東とされる地域(アラブ諸国、イラン、トルコ、イスラエル)にアフガニスタン、パキスタンを加えた拡大中東地域の民主化を議題とする計画を持っていると報じ、あわせて米国がシェルパ会合(サミット準備会合)に提出する予定の文書の内容を伝えた。報じられた計画名の英訳は、Greater Middle East Partnershipであった。4月のシェルパ会合では、米国よりこの計画が参加国メンバーに示されたが、このときの名称はGreater Middle East Initiative(GMEI)であり、このあと欧米のメディアやシンクタンクはこの名称を用い、日本語でも「大中東圏構想」などと呼ばれた。しかし、その後GreaterはBroaderになり、InitiativeはPartnershipとなって、最終的に冒頭の声明タイトルとなっている。(注1)

このような名称の度重なる変化は、サミット前のG8外相会議での議論などと重なって、あたかも内容の変化に関連して生じたかのような印象を与えた。実際、シーアイランド・サミットでの声明および改革支援計画の発表に際し、メディアは米国が計画していた民主化圧力は、アラブ諸国やEUからの強い反発にあって、その姿勢や内容を軟化させたと報じている。ところが、上記アルハヤート紙が報道した文書の内容と、サミットにおいて発表された声明・改革支援計画の内容に、大きな違いは見られない。確かに、後者には中東和平やイラク問題への言及とともに、前者にない「改革は地域各国によるもので、変化は外部からもたらされるものではない」といった表現が加えられ、2000万人への識字教育や1億ドルの基金設置など、計画の具体化も含まれている。しかし、計画の基本事項や民主化そのものに関わる提案に関しては、前者の内容が後者にそのまま引き継がれている。

そもそも、選挙や議会に関わる個別具体的な要求は内政干渉にあたるため、少なくとも政府間の公式な発言や文書での強い民主化要求は不可能であり、当初の計画内容自体がソフトにならざるを得ないものだった。しかし、米国が「中東の民主化」をイラク戦争の遂行目的のひとつとして挙げたことを背景として、「米国による民主化圧力」という強いイメージが先行し、それにアラブ諸国やEUからの反発が生じたことから、大きな注目が集まった。そこでは、「外圧」の内容に関わる議論や評価がないままに、「米国の圧力とそれへの反発」という構図や、「民主化は内発的であるべき」、「性急な改革は混乱を生む」といった主張だけが取り上げられていた。

アルハヤート紙の報道でも言及されている通り、当初の計画は国連が2002年と2003年に発表した「アラブ人間開発報告書(AHDR)」を採用している。(注2)AHDRの2002年版は、アラブ世界の問題として政治参加、女性の社会参加、教育、開発政策立案、貧困克服に関わる制約や不備を指摘し、その基本的な改善策として「知識社会の構築」、「開かれた文化の実現」、「政治参加と自由、多元主主義の促進」の3つを提案している。2003年版は、特に「知識社会の構築」をテーマとし、これに関わるアラブ諸国の後進性、閉鎖性を批判している。このAHDRをベースとした計画は、?民主主義とグッド・ガバナンスの促進、?知識社会の構築、?経済的機会の拡大の3つを柱とし、それぞれに個々の提案を掲げている。しかし、民主化に関わる?の内容は、実施される選挙に対する支援や議会の交流、女性やメディア関係者の訓練、各種のNGO支援による市民社会構築などであり、政治改革の具体的提案はもちろん、AHDRに述べられた政治的な問題の指摘や批判も記されていない。

そして、その内容はサミットでの声明および改革支援計画に、そのまま残されている。声明では、冒頭でG8が「民主的、社会的、経済的改革」を支援するとし、末尾で「その政治的分野では、民主主義や法による支配に向かう進歩は、多元主義を包含する人権や基本的自由の保障につながる。これは、協力や意見の自由な交換、問題の平和的解決に結実し、政治改革、グッド・ガバナンス、近代化もまた、民主主義の建設に必要である。」としているが、民主化への直接的な言及はこれのみである。改革支援計画でも、G8と中東諸国の閣僚が参加する「未来のためのフォーラム」の目的のひとつとして、「民主主義、市民参加、法による支配、人権、市場経済を促進するための改革の支援」が挙げられ、フォーラムの後援で「民主主義を支援する対話」を開催するとしているが、そのほかは上記した当初の計画のもの(実施される選挙に対する支援など)が並んでいる。声明や改革支援計画の内容を見れば、その実質的な中心はこれらの「民主的改革」ではなくて、むしろ教育や職業訓練、貿易投資の促進、小規模起業家への支援などといった「社会的、経済的改革」にあることは明らかである。

サミットの声明・改革支援計画のみならず、その当初の計画においても、「民主化圧力」とまで呼べるような内容は確認できない。にもかかわらず、「米国の圧力とそれへの反発」という構図がクローズアップされ、中東諸国の民主化促進に関する米国とアラブの綱引きというイメージが定着して、そこに内容との大きなギャップが生まれてしまった。無論、現在の民主化は普通選挙や複数政党制などの導入といった政治制度の改革のみならず、人権の尊重や司法の強化、自由なメディア、経済の自由化などを包括して、より広く捉えられており、サミットの声明でもそれらは言及されている。しかし、政治制度や状況の改善が、民主化に関わる中心課題であることは論を待たない。なおかつ、中東各国で体制や状況が異なるものの、選挙や議会が存在しない国や、選挙の運用などが既存の政権に過度に有利である国が、中東地域で多いことは周知の事実であり、これらに言及しないものを「民主化圧力」と呼ぶことは、困難であると思う。「大中東圏構想」の実態は、民主化に関わるものと評価するよりも、社会経済開発において中東地域を特に重視するものと評価すべきものなのである。

サミットを舞台とした「民主化圧力」に関わる、このようなイメージと内容との大きなギャップを、どのように考えればよいのだろうか。少なくとも狭い意味の民主化に関しては、サミットの声明や改革支援計画は、対象諸国の内外で民主化を求める側にとっても、外圧に反発する側にとっても、非常に中途半端なものとなってしまった。アラブ世界には、米国への反発とは逆に、対象諸国の民主化に米国はどれだけ本気なのか、単なるポーズに過ぎないのではないかといった、米国の真意に疑念を抱く向きもある。また、アラブ世界の政権からの反発にも、責任の一端がある。アラブ諸国に対するこれまでの民主化圧力としては、1995年からのバルセロナ・プロセス(EU地中海パートナーシップ:FTA締結に民主化や人権などの問題を含める)、上記AHDR、2002年からの米・中東パートナーシップ・イニシアチブ(経済・政治・教育・女性の4分野に関する改革支援)があり、おそらく各国の政権は、さらなる外圧に警戒感を強めていたのであろう。そこに、アルハヤート紙の報道がなされたために、同じく批判的なEUとともに強い反発を示したものと考えられる。しかし、アラブ側の「改革は自主的であるべき」といった主張は、これまで民主化のための改革が不十分であったことや、改革自体に消極的であったことの説明にはなっていない。

たとえば、エジプトのムバーラク大統領はイタリアの新聞社とのインタビューで、選挙で過激派が勝利した場合の混乱を、アルジェリアの例を挙げて指摘した。それゆえ性急な改革を拒否するとのことなのだが、アルジェリアの内戦状態は1992年12月の総選挙でイスラム政党(イスラム救国戦線FIS)が大勝したことに対して、93年1月に軍部が介入して議会を停止したことから生じた。その混乱はイスラム政党の勝利ではなく、軍部による民主化潰しと、フランスの強い働きかけによって、それを非難しなかったG8ナポリ・サミットに起因するものである。議会におけるイスラム政党や過激派の伸張が、民主化に際しての懸念事項であるとしても、その事例としてアルジェリアを挙げることは、事実誤認あるいは問題のすり替えであると言わざるを得ない。

アラブ各国には、民主化を求める知識人や勢力が、もちろん存在する。彼らの一部には、既に「米国による民主化圧力」を歓迎する例も見られる。しかし、彼らによる内発的な民主化要求が、米国追従と批判されてしまう危惧も存在する。「大中東圏構想」に対しては、反対派と賛成派がいるというよりも、アラブ人一人一人の意識のなかに「米国の言いなりになるのは嫌だ」という考えと、「きっかけは何であれ、民主的な国になりたい」という考えが同居していると理解した方が、現実に近いと思う。それゆえ、現に存在する民主化の必要性と、中東和平やイラク情勢などから来る対米不信・批判との間の深い溝を、どう埋めていくのかという問題が、今後の「大中東圏構想」の最大課題となろう。

(注 1) 名称変更の詳細は明らかではないが、90年代に中東地域に旧ソ連から分離した中央アジア、南コーカサス諸国を加えてGreater Middle Eastと呼ぶ例があり、Broaderはこれと区別したものかもしれないし、Greaterという言葉の響きを弱める意図があったのかもしれない。Initiativeについては、アラブ諸国やEUからの批判に配慮して、より協調的であり、既にEUがアラブ諸国とのFTAの名称に用いているPartnershipを採用したのであろう。ちなみに、「中東」は地理用語ではなく、もともとは大英帝国の軍管区の方面名であったため、その範囲は組織や個人により異なる。一般には、地理用語の西アジアと北アフリカを併せた地域を指すが、場合によっては「中東・北アフリカ」という呼称も用いられる。

(注 2) 国連の「人間開発報告書」は、1990年から包括的な経済社会指数である「人間開発指数(HDI)」を長寿、知識、生活水準の3分野から測り、現在は175カ国のランク付けを行なっている。そのなかで、アラブ諸国は特に下位に位置するため、アラブ諸国だけを取り上げた報告書がAHDRとして発表された。ちなみに、このAHDRを含め、本論に掲げた民主化圧力に関わるすべての文書においては、内政干渉を避けるため、「民主主義Democracy」という言葉はあるが、「民主化Democratization」という言葉は用いられていない。