研究レポート

分極化時代の下院議長--------(2)制度から考える

2023-10-25
待鳥聡史(京都大学教授)
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「米国関連」研究会 FY2023-2号

「研究レポート」は、日本国際問題研究所に設置された研究会参加者により執筆され、研究会での発表内容や時事問題等について、タイムリーに発信するものです。「研究レポート」は、執筆者の見解を表明したものです。

なお残る「なぜ?」

2023年10月のケヴィン・マッカーシー下院議長(共和党)解任は、なぜ起きたのか。二大政党がそれぞれ保守とリベラルという二つのイデオロギーにより純化され、政党間の対立が妥協困難なほどに激しくなる状況、すなわち分極化の時代にあって、下院多数党のトップリーダーである議長が、自党議員の造反によって解任されるという事態は、奇妙な出来事といわねばならないだろう。そのような事態がなぜ生じたのか。アメリカ政治史上初の解任として注目されたが、いかなる意味で例外的であったのか。そして、そもそも解任の直接の引き金となった継続決議をめぐる民主党との妥協を、マッカーシーはなぜ選択したのか。

これらの問いに答えるべく、既に公表した前稿においては、連邦議会史を振り返ることで考察を行った。そこで明らかになったのは、下院議長の役割は歴史的に変遷しており、現在は多数党内多数派の代弁者であることが期待される時代であること、そのような期待に反した行動をとる議長に対して多数党内からの反発が生じる例は過去にもあったこと、分極化の時代にはこうした期待や反発が強まりやすくなると考えられることであった。つまり、マッカーシーへの党内からの反発や造反は、20世紀初頭のジョセフ・キャノンや1990年代末のニュート・ギングリッチが経験したものと近似した、しかしより直接的な不満の噴出と見なしうる。解任という形式に注目しすぎるべきではないのである。

しかし、歴史からの検討は今回の出来事を相対化する上では有用であり、なぜ解任されたのかを理解できるようにするが、マッカーシーがなぜ民主党との妥協に踏みきったのかまでは説明できない。

マッカーシー自身の政治的立場は保守的であって、解任決議を提出したマット・ゲーツ議員らほど強硬ではないにしても、ジョー・バイデン大統領の弾劾訴追のための調査を開始させるなど、ドナルド・トランプ前大統領に近いとされるフリーダム・コーカス所属議員らへの宥和的姿勢も繰り返し示してきた。そもそも、2023年1月の議長指名投票の決着が長引き、その過程で議長解任動議の提出要件緩和を含む党内最保守派との妥協を図った時点で、党内を掌握できなかった場合のリスクは十分に認識していたはずである。また、2024年の改選を控え、トランプからの支持を期待する一部議員たちがどれほど強硬なのかについても、議長就任以来の経験で分かっていたであろう*。

だとすれば、今回の解任の原因となった民主党との妥協による継続決議の成立容認には、マッカーシーが共和党内からの支持継続よりも優先させた何かがあったと見るべきではないだろうか。もちろん、仮に解任動議が出されても民主党が反対に回ってくれるはずだという期待もあったのかもしれないが、予算をめぐる混乱を放置して党内からの支持をつなぎとめる方が楽である以上、そのような賭けに出る理由としては弱い**。やはり、何らかの考慮を行ったと考えざるを得ないのである。

以下の本稿では、連邦政府の制度構造の中に下院議長を位置づけることで、その「何か」について考えて行くことにしよう。

* 本稿(前稿を含む)では、「保守」や「保守強硬派」といった用語に厳密な定義を与えておらず、共和党内において民主党との妥協を容認する程度の大小についての簡便なラベルとしてのみ使用していることを、あらかじめお断りしておきたい。民主党における「リベラル」も同様である。
** 混乱を放置した場合、民主党側から議長解任決議が出され、それに共和党内の穏健派が数名加わって決議が可決されるという展開もありうる。しかし、その場合には混乱の責任を民主党と党内穏健派に押しつけることができ、かつ共和党内ではマッカーシーは英雄的人物になれるのだから(解任後に議長に再度立候補することもできる)、自らのイデオロギー的立場も含めて考えれば、民主党との妥協よりも得られるものが大きいと判断する方が自然である。マッカーシーは、継続決議の成立そのものを重視したと見なすべきであろう。

潜在していたディレンマ

権力分立は、アメリカの政治制度の基本的特徴として広く認識されている。しかし、権力分立の具体的なあり方は時期により大きく変化してきた。

植民地時代にイギリスの政治的伝統を継承した建国初期には、各邦(のちの州)の政治制度は議会が主導的役割を果たすことが想定されていた。行政部門の長である知事の権限は乏しく、多くの邦では議会の指名によって短い任期を務めるだけという存在であった。権力の担い手を分ける必要性は意識されていたが、それは今日の三権分立とは大きく異なっていた。だが、大きな役割を担うはずの議会には、期待されたほど優れた政治家を得られず、衆愚政治的な傾向を持つようになった。

合衆国憲法は、議会主導であった各邦の政治が混乱したことへの応答という面を持ち、権力分立のあり方を再設計する試みであった。議会、とりわけ当時としては緩やかな資格要件の下で多くの有権者が参加し、議員を直接公選する下院について、その正統性の尊重と無責任な意思決定の回避をいかに両立させるかは、大きな焦点となった。フィラデルフィアで開かれていた憲法制定会議では、州議会による間接選挙を採用する上院が、下院を抑制することを当初想定していた。だが最終的には選挙人団に間接選挙される、上院よりもさらに民意から遠い存在の大統領を別に置き、議会両院を通過した法案への拒否権と、議会への立法勧告権(教書送付権限)を与えて、抑制の効果を強めることとなった。

ただし、このような多重的抑制が行われてもなお、連邦議会、とくに下院が政策決定において主導的役割を果たすという基本構図は維持されたことも確かである。合衆国憲法は第1条で議会について定めるが、その規定の分量や詳細さは第2条の大統領や第3条の司法部門とは比べものにならない。連邦政府のすべての政策は、議会の権限に根拠を持つとさえいえる。すなわち、議員自らが提出した法案が政策決定の起点となり、大統領は必要に応じてそれを補佐したり抑止したりすること、議会の中でも課税など人々の生活に密接な関連を有する議案は下院が先議して主導することが、基本的な想定だったのである。

他方で、連邦政府の政策決定の主役となるはずの下院は、有権者から直接公選される唯一の部門として出発した。連邦議会の有権者資格は合衆国憲法第1条第2節1項により各州議会の有権者資格に合わせて定めるとされたが、いずれの州も同時代のイギリスに比べれば緩やかな制限しか課しておらず、相対的に広範な政治参加が認められていた。また、独立戦争における「代表なくして課税なし」というスローガンに表れているように、アメリカの代表観は地域代表や個別利益代表であることを容認するもので、イギリスがエドマンド・バークらの議論によって実質的代表(国民代表)へと代表観を変えていたこととは好対照であった。

かくして、連邦政府の政策決定において主導的役割を果たすはずの下院に、最も広範な有権者集団から、地域や個別利益の代表者であることを期待された議員たちが選出されることになったのである。それは権力分立を定める制度(執政制度)が与える権限や役割と、選挙制度や代表観が定める期待や能力の間に、当初から整合性がないことを意味していた。連邦政府が全米的課題に取り組むことを想定されている以上、このことは潜在的には深刻なディレンマとなりかねなかった。

1970年代以降の顕在化

実際には、合衆国憲法に基づく体制が始まった後も、このディレンマは長く顕在化しなかった。19世紀には全米的に対応すべき政策課題が少なく、産業革命によって課題が全米化した20世紀には、革新主義に基づく諸改革(たとえば大統領予算制度の創設)やニューディール期の諸改革(たとえば大統領府の創設)など政権側の応答能力を向上させることで、連邦議会が権限に見合う能力を持たないことによる悪影響は生じにくかったのである。同時期には、アメリカの国際的地位や国力が強まったことで、外交・安全保障政策の重要性も飛躍的に増大したが、これらの政策領域はもともと大統領の権限が大きく、判断が尊重されやすいという特徴を有していた。

1930年代から60年代にかけての政策決定の特徴は、ニューディール・コンセンサス、リベラル・コンセンサス、あるいは現代大統領制と呼ばれる。内政と外交の両面において連邦政府が取り組むべき政策課題が存在していること、それに対しては大統領を頂点とする行政部門が主導的役割を果たしながら取り組んでいくこと、そして連邦最高裁や州政府を含む他の政府諸部門は、合衆国憲法の当初の想定とは異なる権力分立のあり方を容認することが、いわば「基本セット」としてこの時期には主要な政治アクターに広く受け入れられていたのである。

そこでの連邦議会は、政権側が基本的な方向性を定めた政策について、関係する地域や業界の意向を細部に反映させることに専念すればよかった。前稿でふれた、議長が積極的なリーダーシップを発揮することなく委員会が自律的に意思決定をする立法過程のあり方(「委員会政府」と呼ばれることが多い)は、このような役割に適合的であった。政党政治における民主党の優越と、利益配分政治にふさわしい議会内多数派形成の流動性もまた、コンセンサスの時代に合致していた。

ディレンマが顕在化したのは、1970年代以降のことである。アメリカの経済的停滞、ヴェトナム戦争などの外交上の挫折、公民権運動などを契機として噴出した社会変革の動きにより、上に述べたコンセンサスは失われた。50年代までの安定したアメリカを回復させようとする動きは保守派の政治運動へと合流し、共和党の重要な支持基盤となって、政党間の勢力バランスは拮抗するようになった。政権党と連邦議会多数党が異なる分割政府が常態化し、リチャード・ニクソン政権が議会に敵対的な姿勢を示したことも相まって、議会が本来持つ政策決定の主導権を回復させようとする動きも強まった。しかしそうなれば、権限と能力や期待のギャップをどうするのか、という問題が生じざるを得ないのである。

焦点としての下院議長

下院が、連邦政府の政策過程において主導的役割を果たすことが想定され、それに見合う権限が合衆国憲法上与えられている一方で、地域代表や個別利益代表であることを是とする代表観は、外交を含む全米的政策課題への取り組みには適合しない。このディレンマに対応しようとすれば、一つの方策としては内部改革によって権限に見合う能力を得ることが考えられよう。実際にも、委員会の自律性を低下させて利益誘導政治を弱め、議会予算局を設置してより合理的な予算編成を行うといった試みが、1970年代にはとられた。

しかし、委員会の役割を縮小すると所轄政策分野で専門能力を持つ議員の判断が法案に反映されづらくなるなど、立法能力の向上には必ずしもつながらなかった。また、有権者やメディアに見えないところでの政策決定への批判に応答するために導入した議会のテレビ中継は、本会議における有権者向けのスタンドプレーを誘発することになるとともに、機微にわたる妥協を拒絶する雰囲気を醸成していった。同じ時期には、政党間の主要争点が従来の経済・財政中心から文化へと広がり、イデオロギー的対立の先鋭化が始まって、超党派の多数派形成は次第に困難になっていった。

かくして、1980年代になると政党が立法過程において中心的役割を果たすようになった。委員会など他の手段の有効性が低下し、政党内部がイデオロギー的に結束するようになると、議会内での多数派形成の単位としては長らく存在感に乏しかった政党が、大きな意味を持つようになったのである。このような政策決定のあり方を「政党政府」と呼ぶ*。政党政府の登場は、政党指導部にあたる院内総務や院内幹事の影響力を強めることも意味していたが、下院多数党における指導部の頂点にいるのは、もちろん議長であった。かつて「すべての政治はローカルである」と語ったティップ・オニール議長(民主党)の任期後半にも、既にロナルド・レーガン政権(共和党)との対抗姿勢は目立つようになっていたが、続くジム・ライト議長(民主党)の時期には下院内での共和党との対立も激化した。

分極化がいっそう強まった1990年代には、政党政府と分極化が重なり合うことによって生じる影響は、下院議長に最も顕著に表れるようになる。もともと政党政府の登場が連邦議会の政策能力向上の手段だったことからも明らかなように、政党が多数派形成の最重要単位になるからといって、政党間対立のために立法過程が停滞するのは本末転倒であった。ところが、分極化は相手党に起因する立法過程の停滞はむしろ望ましいという判断を導く。ここに、コンセンサスなき時代の政策過程を主導すべきという議会の権限や役割と、あらゆる手段で相手党に対抗すべしという分極化の論理が、下院多数党のトップリーダーである議長を苦境に陥れることになったのである。

* 下院議員が地域代表や個別利益代表であることを当然視する代表観は、かつては政党内部に多様な考え方や利害を表出する効果を持っていた。政党が多様な集団からなる「テント」と呼ばれたのは、そのためであった。ところが、それぞれの政党を支持する各集団の政治的立場が似通ってくると、同じ代表観からイデオロギー的に極めて結束力が高く、かつ政策課題への対応能力が低い政党を生み出すことにもつながる。分極化の過程で生じたのは、このような現象であった。
 なお、「政党政府」とは「政党が中心的役割を果たしている立法過程のあり方」を指す言葉で、英語ではparty governmentである。かつて、委員会が大きな役割を果たしている立法過程のあり方を「委員会政府 committee government」と呼んでおり、それとの対比で用いられている。

苦悩と選択

政党が議会内多数派形成の最重要単位である立法過程、すなわち政党政府と、二大政党がイデオロギー的に激しく対立しつつ内部で結束するという分極化が重なり合う時代において、歴代の下院議長はおおむね分極化に棹さしてきたように思われる。歴史的に存在した議長の役割に即していえば、公平な議会運営者としてよりも、自らが所属する多数党内多数派の意向を反映した立場を重視してきたのである。近年の大統領は、同じように権限と役割期待の間に生じるディレンマに直面し、大統領行政命令の党派的活用などに向かっているとされる。自党所属議員からの支持の有無が決定的な意味を持つ下院議長は、より早い時期から似た選択を行ってきたと考えられる。

しかし、そのことは下院が制度的に果たすべき役割と分極化に起因する要請の間で生まれるディレンマを消滅させるわけではない。予算編成は、そのようなディレンマを最も明確に顕在化させる局面であり、ギングリッチとマッカーシーがともに党内からの支持を失う契機になったのは、決して偶然ではない。今回の解任の原因となった継続決議を成立させた際に、マッカーシーが解任動議を受けて立つと語るとともに述べた「しかし、私はこの国があまりに重要だと思ったのだ」という言葉は、重大な決断を下した政治家のヒロイックな修辞であることを割り引いても、彼がディレンマの中で行った選択の意味を端的に示しているといえよう。だが、下院共和党の一部議員たちはあくまで分極化の論理に従うことを求め、この選択を許さなかったのである。二大政党の議席差が極めて小さく、民主党もまた分極化の論理に基づいて行動している今日、このような議員の存在は致命的であった。

政党政府と分極化が与える影響は、連邦議会に止まらず、少なくとも当面はアメリカ政治の焦点の一つであり続ける可能性が高い。分極化が政治家や政党活動家の範囲を超えて、一般有権者にも及びつつあること、二大政党が政治資金や人的ネットワークなどの肥大化によって産業のようになっていることをふまえると、現在の動きが逆転する見通しは容易に立てがたい。その影響は、アメリカ政治の政策決定能力のさらなる低下、さらにいえば政府の統治能力の低下にも及ぶことが予想される。社会の多元性や多様性、メディアや大学の強靱さなどを考えあわせると、アメリカが民主主義の危機にあるという言い方が妥当だとは思われないし、いつの日か分極化の時代は終わるであろう。だが、それまでの間には不適切な政策判断がなされる場面、必要な決定ができない場面、さらには朝令暮改的に方針が変わる場面が多くなるに違いない。今日なお少なくない人々がイメージとして抱いているであろう「世界を牽引する、強く、正しく、安定したアメリカ」を想定し続けるのは、およそ現実的ではない。

それは当然ながら、日米関係を含む国際関係にも大きな影響を与える。アメリカへの基本的信頼を前提に、特定の政治家や政府高官の発言から外交・安全保障に関する政府全体の選択を予想することは、短期の判断についてはともかく、長期の方向性についてはほとんど有効ではなくなると考えられる。もちろん、最重要同盟国であるアメリカの政策決定に、個人的つながりを活かしてアクセスできることの重要性が失われることはない。しかし同時に、混迷し錯綜しているように見えるアメリカに、次の局面を作り出す新しい動きがないか、現在行われている個別具体的な判断がいかなる意味で大きな文脈や構図とつながっているのか、あえて遠目から考えることも、今後はますます必要になるであろう。




参考文献

梅川 健(2018)「協調的大統領制からユニラテラルな大統領制へ」久保文明・阿川尚之・梅川 健(編)『アメリカ大統領の権限とその限界--------トランプ大統領はどこまでできるか』日本評論社。

中野勝郎(2013)「独立と憲法制定」久保文明(編)『アメリカの政治[新版]』弘文堂。

待鳥聡史(2003)『財政再建と民主主義--------アメリカ連邦議会の予算編成改革分析』有斐閣。

--------(2009)『<代表>と<統治>のアメリカ政治』講談社。

--------(2016)『アメリカ大統領制の現在--------権限の弱さをどう乗り越えるか』NHKブックス。

--------(2018)「保守とリベラル」アメリカ学会(編)『アメリカ文化事典』丸善出版。

Mascaro, Lisa, Kevin Freaking and Stephen Groves (2023), "Government Shutdown Averted with Little Time to Spare as Biden Signs Funding before Midnight," AP News October 1. <https://apnews.com/article/government-shutdown-mccarthy-congress-republicans-732baaa19c91f981e492fd0e6a76aba8>

O'Neill, Tip, with Gary Hymel (1994), All Politics Is Local and Other Rules of the Game (New York: Times Books).

*このほか、前稿の参考文献や上掲各拙著の参考文献もあわせて参照のこと。